大判例

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大阪高等裁判所 平成元年(う)534号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

第一  はじめに

一  本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁堺支部検察官八木廣二作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人山上益朗、同西岡雄二及び同中北龍太郎連名作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

なお、今後説明の便宜上、判文及び引用の証拠について、別段の表示をするほかは、以下の用例に従う。

①  証人又は被告人の供述もしくは供述記載については、原審、当審各公判を通じ、公判廷における供述、公判調書中の供述記載部分を区別しないで用いる。

②  書証についは、原審及び当審における証拠等関係カード記載の番号を適宜記載して特定する場合がある。その際、原審証拠調べの検察官請求分につき原検○、同弁護人請求分につき原弁○、当審証拠調べの検察官請求分につき当検○、同弁護人請求分につき当弁○などとして表示する。

③  検察官に対する供述調書を「検面調書」、司法警察員又は司法巡査に対する供述調書を「警面調書」と表示する。

④  証拠物の押収番号は、大阪高裁平成元年押第一七六号の符号一ないし二九であり、その表示は符号のみをもってする。なお符号一ないし一九は大阪地裁堺支部昭和六二年押第三五号の符号一ないし一九と共通し、符号二〇以下は当審で新たに押収されたものである。

⑤  年月日のうち、特に表示しないものは、昭和六一年の月日を示すものである。

⑥  地名については、特に断らないかぎり大阪府であり、鉄道や駅名についても特に表示しないかぎり、近鉄南大阪線のものである。

⑦  関係者の氏名、年齢、地位等については、すべて当時のものとする。

⑧  注として入れる部分は、いずれも当裁判所が付した注意的説明である。

二  事案の概要、原判決の要旨

1  事案の概要

(一) 本件の公訴事実は、「被告人は、顔見知りの高校生A(当一八年)を普通乗用自動車に乗車させてドライブ中同女に交際を求めたものの、同女が素気ない応答をしたことから、同女を強いて姦淫しようと企て、昭和六一年五月一九日午後五時三〇分ころ、大阪府羽曳野市〈番地略〉広域農道上に駐車中の右自動車内において、同女に対し、全長一五センチメートル位のくり小刀様の刃物を突きつけ『もう生きててもしようがない。お前殺して俺も死ぬ、二度と見られんような顔になるか俺に抱かれるかどっちか選べ、それとも死ぬか。服脱げ。』等と申し向けて脅迫し、その反抗を抑圧して、同女を全裸にした上、強いて同女に自己の陰茎を口淫させた上、馬乗りになって姦淫し、もって同女を強姦したものである。」というのである。

(二) 各論点とこれに対する判断を理解するために、まず、関係証拠によって認定できる本件犯行をめぐる事実関係、特に被害者となっているA(以下「被害者」あるいは「A」ともいう。)の身上・経歴、被告人の身上・経歴、家族関係等、Aと被告人との面識の有無等、Aの当日の行動、本件捜査の端緒・経緯及び公判審理の経過等について、認定・概観してみる。

(1) Aは、大工をしていた父B(以下「父B」という。)と母C(以下「母C」という。)の一人娘で、当時大阪市立○○高等学校建築科三年在学中の一八歳の学生である。当時両親と共に藤井寺〈番地略〉に居住していたが、その二、三年前までは現在の住まいから歩いて五分くらいの同市〈番地略〉に住んでいた。Aは小学校三年生ころから日本アーティストクラブという劇団員養成学校に通い始め、やがてテレビ番組等にも出演するようになり、当時は小林音楽事務所という芸能プロダクションに所属して通学するかたわら、いわゆるタレントの仕事もし、近所でも人目をひく子であった。

(2) 被告人は、一歳のころ父親が死亡し、ほとんど母D(以下「D」又は「母D」ともいう。)一人に育てられた。中学校卒業後、一時水道工事の仕事に従事したりバーテンなどをして昭和五三年三月ころ焼肉店を始め、昭和五五年一〇月からは藤井寺〈番地略〉にスナック「××」(以下「××」ともいう。)を開店した。同店には当時ママと呼ばれていた被告人の叔母のE(以下「E」という。)、チーフ兼バーテンのF(以下「F」という。)、ホステスで被告人の愛人であったG、その他数名の女性が働いていた。被告人の自宅は藤井寺〈番地略〉にあり、母と祖母D2及び叔母のD3とその子供らが同居していた。

(3) Aと被告人とは自宅が近いこともあって時々顔を合わせていたところ、被告人は、Aが中学校二、三年生ころから、道路で会った時などに「喫茶店に行こう。」などと言って声を掛けるようになったが、被告人は目立つ大型の外車を乗り回し、派手な服装をし、パンチパーマをかけていたことなどからAには被告人がヤクザのように見え、したがって、Aは被告人を嫌悪あるいは畏怖し、その都度誘いを断ったり無視して逃げ帰ったりしていた。母Cからも、日頃被告人には注意するよう言われていた。

(4) 当日は月曜日でAはいつものとおり午後四時二〇分ころ学校から帰宅し、すぐ制服を脱いで外出着に着替えてポーチを持って出掛けた。その時の服装は、黒のワンピース(〈押収番号略〉)に黒色のチャイナ帽子(〈押収番号略〉)をかぶり、白いリボン(〈押収番号略〉)を付けていた。当日は午後から雨が降りだし、Aはぬれて学校から帰って来たが、外出の際には傘を持ち、自宅前の建築現場で作業をしていた父Bに「友達のところへ行ってくる。」と断って出掛けた。

(5) Aの家は夫婦共稼ぎで、通常母Cは午後五時一五分ころ帰宅していたので、Aは仕事がなくて学校から真っ直ぐ帰って来ると、家族の夕食の下ごしらえや風呂の用意をしていた。Aは普段遅くなるときには事前に連絡したり外出先から電話連絡していたが、当日にかぎって何の連絡もないまま帰宅が遅れていた。そのうち、母CらはAの安否が気掛りになり始め、午後七時ころ父Bが最寄りの藤井寺駅まで捜しに行ったり、母CがAの友人に電話で問い合わせたりして、時間が経過していった。

(6) 一方、Aは午後八時二〇分ころ藤井寺駅から三つ目の羽曳野市栄町にある古市駅のタクシー乗り場から一人でタクシーに乗り、午後八時三〇分ころ自宅から離れた藤井寺駅近くで降りたが、料金は八七〇円であるにもかかわらず三〇〇〇円をタクシー運転手に渡し、釣りはいらないと言って傘も置き忘れて下車し、そこから雨にぬれながら自宅の方に歩いていった。

そして、午後九時すぎころ、Aが住居前の田のあぜ道にずぶぬれになりながらしゃがみ込んでいたところを、たまたま玄関を出たり入ったりしていた母Cに見付けられた。母Cは、Aが連絡もしないで夜遅く帰宅し、雨にぬれており、服もよれよれの状態なので強姦の被害に遭ったのではないかと直感した。Aは母Cの姿を見て逃げ出そうとしたが、同女が何とかAを取り押さえて、その口から「日頃お母さんから注意せえ、注意せえと言われていた男から強姦された」旨聞き出し、母Cが「外車のやつか」と問い直したところ、Aは泣きながら頭を縦に振った(注、この辺については後に別項を設けて更に検討する。)。その後、母Cは何とかAをなだめて家に連れて入り、父Bと一緒になって詳しく事情を聞いた上、当初警察に被害届けをすることを嫌がったAを説得して、午後九時四〇分ころ母Cが羽曳野警察署に被害を申告した。

(7) 申告を受けた羽曳野警察署員が午後一〇時すぎにA方を訪れ、A及び母Cから事情を聴取し、そのままAは医師の診察を受けるため警察官に付き添われて羽曳野市内の土屋産婦人科医院まで行った。同医院の土屋英和医師(以下「土屋医師」という。)の診断結果では外陰部全体に発赤が認められたが、出血はなくその他に外傷は認められなかった。そして、同日中に警察官は土屋医師からAの膣内液を採取してもらい、翌日、精液混在の有無と血液型の判定を求めて大阪府警察本部刑事部科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)に鑑定嘱託した。その結果、右膣内液には精液が混在し、精液混在の状態でその膣液の血液型はA分泌型と判明した。なお、技術吏員松田裕史作成の鑑定書(〈書証番号略〉)及び司法警察員作成の「血液鑑定について」と題する捜査報告書(〈書証番号略〉)によれば、Aの血液型はA分泌型、被告人の血液型はO分泌型であるところ、精液混在の膣内液の血液型がA分泌型である場合に推定される精液の血液型は、A分泌型、O分泌型及び他の血液型の非分泌型の三通りが考えられ、その精液保持の男性として被告人も矛盾しないと認められる。しかし、同捜査報告書によれば、その可能性のある男性は相当な割合に及び、Aの膣内液から精液が発見され、精液が混在した状態でのその膣内液の血液型がA分泌型であるからといって、そのことから直ちにAの性交渉の相手が被告人であると特定することはできない。

当日、Aと母Cは羽曳野警察で警察官から事情聴取を受け、両名の告訴調書とAの供述調書が作成された。その記載によれば、Aは、犯人として、氏名不祥、年齢二五、六歳、身長一七〇センチメートル前後、パンチパーマ、やせ型、赤と白の縞模様のTシャツ、黒ジャケット、黒ズボン、一見遊び人風、サンルーフ付きの赤色マツダ製乗用車に乗っていた男である旨申告したとされている。また、母Cもおおむね同旨の説明をする一方、さらに、犯人は最近自宅近くの喫茶店「カトレア」によく出入りし、いつも外車に乗っている男であるとの事実を付け加えたとされている(注、犯行車両がサンルーフ付きであったとの事実は、Aの当日付けの警面調書及び母Cの告訴調書に記載されているところ、その事実が同女らの方から積極的に説明した事実であるか否かについて当事者間に争いがあるので、後に詳しく検討する。)。

(8) 翌日の五月二〇日、羽曳野警察署員はA及び母Cを同行してAの案内で被害現場の見分に出掛け、併せて付近の実況見分も実施した。この実況見分に当たって、Aは同現場を簡単に案内できたわけではないが、途中の上ノ太子駅を通ったことだけははっきり覚えており、また、Aが駒ケ谷の山中に入れば現場は分かるなどと言ったことから、これを手掛かりに、Aが記憶している橋とか細い道といったポイント、ポイントになる地点をたどりながらその現場(公訴事実記載の犯行現場、以下「被害現場」ともいう。)に到達したものである。そして、警察官は、Aの指示説明により、その現場周辺から、強姦後Aが陰部を拭いたというティシュペーパー様の固まり二個(〈押収番号略〉)、それが入っていたというティシュペーパーの空缶一個(〈押収番号略〉)、犯人が飲酒したり喫煙したという缶ビールの空缶三個(うち一個は破損、〈押収番号略〉)及びタバコの空箱一個(〈押収番号略〉)を発見して領置した。実況見分終了後、警察官がAらを自宅まで送って行く途中、母Cの申出もあって、犯人がよく立ち寄るというA方近くの喫茶店「カトレア」前に見分に行ったところ、ワインレッドの外車サンダーバード(泉○○○・○○○)が駐車しているのを母CやAが見つけ、警察官は、母Cから被告人が何時も乗っている車であると説明を受け、その車両のナンバーを控えた。その際、Aは車の中で泣きじゃくっていたので、目立たないよう警察官がAに着衣をかぶせて同店前を通過した。その後警察では自動車の登録番号によって所有者照会をして被告人を割り出し、自動車試験所の方から被告人の顔写真を入手して、事件発生の五日後くらいにAに対し、その写真の他、よく似た顔つき、年齢等合わせて六枚の写真を示して選ばせたところ、被告人の写真を選び出した。警察官の方でその写真を確認したところ、それまで同女らが述べていた犯人の特徴と合っていたところから、五月二七日本件強姦容疑で被告人の逮捕状を請求してその発付を得て、これにより同月三〇日被告人が逮捕され、六月二日右同様の被疑事実により勾留状が勾留場所を羽曳野警察署として発付・執行された。

(9) 警察では、六月四日に再びAを同行して同女の案内で犯行場所に至る経路をたどり、Aが被告人から当日声を掛けられたという藤井寺〈番地略〉先路上、Aが被告人の車に乗ったという同市〈番地略〉の青空駐車場、犯行現場への往路被告人が公衆電話をかけたという〈番地略〉ライムスポーツ店前、また、被告人が往路缶ビールや缶ジュースを購入したという〈番地略〉コンビニエンス・マツモト前の自動販売機、強姦の後、犯人の車で行ってAが缶ビールを購入したという〈番地略〉端山酒店前の自動販売機及び最後にAが犯人から解放されたという古市駅の西方約五〇メートルにあるミュージックホールハシガミ付近路上をそれぞれ実況見分した。そして、再度被害現場の実況見分を実施した。前記五月二〇日及び右六月四日の実況見分の状況については、司法警察員作成の昭和六一年六月四日付け及び同月七日付け各実況見分調書に記載されている(なお、原審ではその抄本が原検六七、六八として取調べられているが、当審で検察官からその原本が当検一〇八、一〇九として改めて証拠調請求され、弁護人の同意を得て、証拠調べしたものである。)。その結果等については原判決が関係場所の地理的状況、道路状況及び交通網として詳細に認定判示しているとおりである。

(10) 前記の被害現場から発見、押収された缶ビールの空缶三個、ティシュペーパー様の固まり二個及びティシュペーパーの空缶一個について、捜査官の方で科捜研に指紋等付着の有無について鑑定を依頼した結果、被告人や第三者の指掌紋は一切検出されなかった。また、前記ティシュペーパー様の固まりから精液も検出されていない。さらに、原審証拠調べにかかる鑑定人四方一郎(大阪大学法医学教室教授)作成の鑑定書にも、そのうちティシュペーパー様の固まり二個を除く押収品及び同じく現場から押収されたたばこの空箱一個を鑑定した結果、指紋は検出できない(ただし、ティシュペーパーの空缶にはってあるビニールテープ上に指紋の一部を認めたが同定し得るものではなく、セロテープの下に指紋があることを認めたが、これはビニールを添付する際についたのと認める旨の付記がある。)旨の記載がされている。本件の捜査を担当した古谷寛二警部補(以下「古谷警部補」という。)は原審第二回公判で、同人のこれまでの職務経験に照らして、これらの証拠物は当日雨にうたれたり冷凍されたりしていて、指紋がつきにくい状態にあったと思われる旨証言している。

なお、検察官は原審で、前記現場遺留のティシュペーパー様の固まりの中から陰毛二本が発見され、その血液型が被告人と同型のO型であった旨主張し、その鑑定書を証拠調請求し、弁護人不同意で、作成者の証人尋問を請求した。原審第一四回、第一五回公判において司法巡査村内泰二は、同陰毛は五月二〇日に発見した旨証言しているが、同時に、同証人はその日現場から押収(領置)してきた証拠物を写真撮影する際に、右ティシュペーパーのみを撮影の対象から除外したとも供述しており、原審は、右陰毛の重要性にかんがみ、その供述は不自然、不合理であり、他方、ティシュを発見領置した警察官の古谷警部補及び中野逸廣はその陰毛を発見していないことからみて、その陰毛は五月二〇日当時には本件ティシュに付着していなかったのではないかとの疑いが払拭できないとして、前記証拠調請求を却下している。

さらに、Aが犯行の際乗ったというマツダファミリア、サンルーフ付きの普通乗用車については、警察の捜査にもかかわらず原判決の時点まで被告人の身辺からは発見されなかった。また、Aにおいて犯人が被害者を脅迫するのに使ったナイフ及び強姦の際、車内で犯人が照明のため使用したという懐中電灯も現在まで発見されていない。

(11) 被告人の供述の変遷については後に詳述するが、被告人は五月三〇日本件の強姦容疑で通常逮捕され、六月二日勾留されたものの、警察官や検察官に対してだけでなく、勾留質問時、裁判官に対しても「犯行については一切身に覚えがない」旨答えていた。しかし、六月三日ころから概括的ながら自白し、六月一〇日再び否認に転じ、六月一八日ころから再び自白を始め、六月一九日ほぼ全面的に犯行を自白し、検察官は勾留延長決定を得て通算二〇日間の勾留期間の満了日に当たる六月二一日本件公訴を提起した。

公判では、被告人は一貫して犯行を全面的に否認している。

(12) 被告人は五月三〇日(逮捕当日)に大阪弁護士会所属の遠藤政良弁護士(以下「遠藤弁護士」又は「遠藤弁護人」ともいう。)を弁護人に選任した。被告人は同弁護人と起訴までに五月三〇日、同月三一日、六月四日、同月七日、同月一七日(この日は午後間隔を置いて二回)と接見し、起訴後も六月二八日に接見している。なお、遠藤弁護人は七月四日被告人の弁護人を辞任した。

遠藤弁護人は辞任後の原審第二八回、二九回公判に証人として出廷し、接見時に被告人が同弁護人に対して供述した本件犯行の自白等について証言している(遠藤証言は、辞任した後とはいえ弁護士が自己の担当していた刑事事件で被疑者又は被告人から弁護人を信頼して打ち明けられた職業上の秘密にわたるような内容に及んでいるが、同弁護士が原審で証人として採用されるに至った経緯、その証拠価値等については後に検討する。)。

なお、遠藤証言によると、同人は被告人との接見を通じて六月四日ころ被告人の自白もあって、同人が本件犯行を犯したことに間違いないとの心証を得たので、被害者と示談して場合によっては告訴を取り下げてもらおうと考え、被告人の家族にその旨指示し、母Dらが六月一一日二〇〇万円の現金を用意してA宅を訪れ謝罪し、Aの両親もいったんは被告人が本当に反省しているなら許してやろうという気持ちになり、翌日かその一両日の間に警察官に相談したところ、被告人が真実を述べていないと聞かされ、A側の方から示談を拒絶した。しかし、遠藤弁護人としては起訴直前まで、被害者と示談したいと考え、検察官にも勾留期間の満了ぎりぎりまで起訴を待って欲しいと頼んでいたが、結局示談は不成功に終わり、被告人は六月二一日起訴されるに至ったものである。示談に関して、被告人は六月一七日の遠藤弁護人との一回目の接見に際には、「やっていないので示談はよい。」旨発言していたが(示談に対する当日以前の被告人の態度は証拠上必ずしも明確でない。)、その日の二回目の同弁護人との接見で犯行を認めてからは、示談を期待していた状況が窺われる(被告人の当審第一七回公判供述)。

被告人は七月二日に山上弁護人を同月九日に西岡、中北両弁護人を新たに選任した(当審弁護人も同じである。)。

以上のとおりである。

2  原判決の要旨

原判決は、本件においては、(注、原審)第五回及び第六回公判調書中の被害者とされる証人Aの供述記載(以下「原審A証言」ともいう。また、当審第三、四回公判におけるAの証言(以下「当審A証言」ともいう。)もほぼ同旨、これらの証言を合わせて「A証言」という場合もある。)と被告人の捜査段階の自白以外には被告人の本件犯行を認めることができる証拠はなく、犯行の目撃者も証拠物もない。そして、A証言は、「その述べるAが被告人に対して抱いていた人間像、強姦の態様及び被害感情を前提として考えると、被告人から強姦されたということと、Aが犯人に対してとった行動との間には数々の矛盾やかい離があって、被告人が同女を強姦したものと考えることは困難である。同女は、被告人以外の男性に誘われてその運転する自動車に乗り、犯行現場とされている場所まで行って同所で性交渉を持ち、この男性を明らかにできない事情があったところから作為したのではないからと考えるとこれまで指摘した同女の証言の矛盾や不自然さが消えるようにも思われ、その旨の疑いをいれる余地があり、同女の証言は信用することができない。」また、「被告人の捜査段階の自白は、全体として著しい渋滞を示し、重要な点で著しい変遷をしており、自白の内容も不合理不自然であり、被告人はその経験していない事実を経験したかの如く供述しているのではないかとの疑いを強く生ぜしめるものであり、その自白は真実性に乏しいものといわざるを得ない。」。結局本件公訴事実を認めるべき証拠はないと判示して、被告人に無罪を言い渡した。

三  争点

論旨は、原審A証言は詳細且つ具体的であって、内容的にも不自然さはなく、十分信用できるものであり、また、被告人の捜査段階の自白も、全面的に真実を供述していないという面はあるにせよ、Aを強姦したという大筋においては真実を吐露しているものと認められ、十分信用できる。その他の証拠によっても、被告人の犯行は明らかであって、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というものである。

原審以来の被告人の弁解ないし弁護人の主張の骨子は、①本件公訴事実は被告人にとって身に覚えのないものである、②被告人が本件強姦の犯人である、というAの証言・供述は虚偽・架空のものであって、A証言を裏付けるような犯行車両、凶器等が被告人の身辺はおろか何処からも一切発見されておらず、また、Aが被害時又はその前に犯人と話した内容は被告人とは結びつかないものである。さらに、犯人は相当飲酒する人物と認められるのに被告人にはほとんど酒が飲めず、犯人と被告人とはタバコの嗜好も異なっている。いずれにしても、Aの述べる犯人像と被告人とは余りに掛け離れている上、そもそもAの証言・供述は変遷が甚だしく不自然な点も多く信用性に乏しい、③捜査段階の被告人の自白にはおよそ信用性がない、④被告人には確実なアリバイがある、などというものである。

四  判断の骨子

本件は、当時高校生の一八歳の女子が強姦の被害にあったとして以前から顔見知りの被告人を犯人と特定し、その被害の模様を詳細に証言している事件であって、一見単純・明白な事犯と思われるにもかかわらず、被告人は公判廷では一貫して全く身に覚えがないとして犯行を全面的に否認し、原判決は被害者は被告人以外の第三者を庇うために被告人を犯人に仕立てて虚偽の証言をしている疑いがあると判示して被告人を無罪にしたという公判経過をたどった、特異な事件である。

当裁判所は、以上の事情並びに検察官、弁護人の訴訟活動にかんがみ、特に犯行の成否の鍵を握るAについてはその信用性や証明力を判断するために再度証人尋問を行い、現場検証を始めその他の証人尋問、被告人質問等について慎重な証拠調べを実施してきた。その結果、以下の理由から、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があって破棄を免れず、本件公訴に対しては有罪の認定をせざるを得ないのであって、主文の結論に達した次第である。

第二  控訴趣意に対する判断

そこで、所論及び答弁にかんがみ記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果並びに当審各弁論をも参酌して検討する。

なお、本件の核心は被告人が本件強姦の犯人であるか否かであるが、原判決の判示しているように、本件においてはAの証言と被告人の捜査段階における自白以外に被告人の犯行を認めるべき証拠はなく、犯行の目撃者も犯行を裏付けるに足る確実な証拠物もない。本件の成否は、右A証言と被告人の捜査段階での自白の信用性の有無にかかっているといえる。

一  被害者(A)証言の信用性について

1  A証言の概要、同証言と客観的事実あるいは関係証拠との比較検討、同証言から明らかに認定できる事実及び同証人の供述態度等

(一) 原審A証言の要旨は、ほぼ原判決記載のとおりである。後に改めて検討する二、三の点を除いて、Aは当審第三、四回公判でも、被告人を知るに至った経緯、事件前に同女が被告人に抱いていた感情、当日(五月一九日)の行動、被害状況、その後帰宅するまでの状況及び警察に被害申告をするに至った事情などについて、ほとんど同じような証言をしている。

そして、Aは原・当審公判を通じて、自分を強姦した犯人は被告人席にいる甲に間違いないと断言している。

(二) 前記本件事案の概要で述べるように、Aは、当日学校から帰って、午後四時半ころ洋服を着替えて外出し、普段は遅くなるときには何らかの方法で両親に連絡していたのにその日に限って無断で帰宅が遅れ、午後九時すぎ異常な格好で帰宅していること、その後母Cに対して強姦の被害にあった事実を打ち明け、同女が警察に被害申告し、Aから警察官に対しても同様の被害申告がなされたこと、Aが当日男性と性交渉を持っていること、Aが当日午後八時二〇分ころ古市駅近くのタクシー乗り場からタクシーに乗って午後八時三〇分ころ藤井寺駅近くで降りたこと、その際雨降りにもかかわらず傘を車の中に忘れ、料金が八七〇円であったのに三〇〇〇円を支払っていることなどのほか、Aの証言する犯行現場からは翌日の五月二〇日犯人が飲んだと思われるような缶ビールの空缶三個、たばこの空箱一個、その他性交渉の後に使用したと思われるティシュペーパー様の固まり二個が発見されている。また、Aは原審第五回公判で、被告人の車に乗って強姦現場に行く途中、カーラジオで、自動車運転中、クラクションを鳴らしたことが原因で包丁で刺し殺すという事件が発生した旨のニュースを聞いたと証言しているが、司法巡査作成の捜査報告書(〈書証番号略〉)によれば、当日の午後五時八分から一分五秒間、毎日放送でそのニュースを放送した事実(ただし、その内容は殺人未遂である。)が認められる。何より、A証言は具体的、詳細で迫真性が認められる。

また、A証言の端々には、いわゆるタレントとしての将来を考えて、被害の表面化を気にしていた状況も窺える。本件のような強姦にあった事実は、Aのタレントとしての将来を考えると、できれば同女としても伏せておきたい事実と思われる(母Cの原審第七回公判証言によると、Aは当日夜帰宅後、母Cらに強姦の被害を打ち明け、父Bが「また後々そういうことになると困るから警察に届けよう。」などと言い出したことに対し、Aは「届けないでくれ。」と言って頼んだが、結局母CがAに住所、氏名を伏せて届出しようと説得して、代わって警察に被害申告をした事実が認められる。)。加えて、A証言及び母Cの原審第七回ないし第九回公判証言からは、Aが母Cに隠して特定の男性と深い付き合いをしているとは思われず、両親はAを信頼し、同女も真面目な生活態度であると認められる。

これらの事情を総合すると、原判決の指摘するようにAが親しい男性と合意の上で性交渉し、その事情を両親に打ち明けられないために、殊更本件のような強姦の被害を考え出し、警察に被害申告までしたとは到底思われず、Aがその証言する被害現場で強姦の被害に遭ったことは真実と認められる。

(三) 前認定のとおり被告人とは五月一九日以前から顔見知りで、その程度の差はあっても、同事実自体は弁護人も争っておらず、被告人も原・当審公判で認めている。

そして、Aは当日犯人と午後四時半ころから午後八時ころまで行動を共にしており、Aが被告人と犯人とを見間違うことは、まずあり得ない。

前認定のとおり、Aは被告人を日頃から嫌悪し、畏怖していた事実が認められるが、全証拠を検討しても本件犯行までに被告人がAから強盗犯人にまで仕立てあげられるほどの恨みをかうような事情は見出せない。A証言では被告人をやくざっぽい男と表現している。あえて畏怖しているやくざの男を誣告して反感を買うような行動に出るのも考えにくい。ところが、被告人の原・当審公判の弁護及び弁護人の主張は前示のとおりであり、原判決も被告人を無罪としている。犯人が被告人以外の人物であるということになると、Aは余程の事情で強姦の真犯人を隠し、被告人を犯人とすり替えて証言しているとしか考えられない。

そこで、弁護人の主張及び原判示を基にして、主な論点ごとに、被告人を犯人から除外すべき事情の有無並びに信憑性の高いと思われるA証言自体に更に疑いを容れる余地がないかどうかについて検討してみる。

2  被告人のアリバイについて

(一) 弁護人主張の被告人のアリバイの骨子は次の通りである。被告人も原・当審公判で同旨のアリバイの存在を供述している。すなわち、

被告人は、当日もいつもどおり午後六時すぎには自分の店に出て、午後七時ころ同店の前で明治生命保険相互会社大阪南支社藤井寺営業所(以下「明治生命藤井寺営業所」ともいう。)の保険外交員のI(以下「I」ともいう。)から保険料支払いの領収証を受け取り、午後七時三、四〇分ころ店に来た常連客のJ(以下「J」ともいう。)と会い、午後八時ころ店を出てママのEを車で迎えに行き、その途中でK(以下「K」ともいう。)と会い、Eを乗せて店に帰ったが、その後Gが店に来てしばらくして同人を中心に一気飲みが始まった、というものである。

アリバイの証拠としては原審第四回、第一九回公判及び当審第九回公判におけるI証言、同証言に関連した第一回保険料充当金領収証(〈押収番号略〉、以下、単に保険料領収証ともいう。)、申込書手控(〈押収番号略〉)及びI作成の私の活動計画と題する手帳(〈押収番号略〉、以下、単に手帳ともいう。)、原審第一三、一四回公判における今田証言、同証言に関連したレシート(〈押収番号略〉)、領収証(〈押収番号略〉)及び納品書(〈押収番号略〉)、原審第一八回公判及び当審第一〇回公判におけるK証言、原審第一八回公判におけるE証言、原審第一五、一六回公判及び当審第一五回公判におけるF証言及び本件一気飲みに関連するスナック「××」の付けのノート(〈押収番号略〉、以下、単に付けのノートともいう。)等多数の証拠が存在する。そこで、各証拠の信憑性や証拠価値について順次検討する。

(二) I証言について

同証人は、当日の午後七時ころ、スナック「××」の店の前で被告人に対し保険料領収証の日付を記入して交付し、その足で被告人の印鑑証明書を取りにその自宅まで行き、帰宅したのは午後八時ころで、丁度「水戸黄門」というテレビ番組が始まったところだった、と証言している。

しかし、同証言は当初被告人から領収証記載の保険料を五月一九日に受け取ったと証言し、関係証拠を示されて保険料はその前にもらっていたが、過払いであったのでその日は差額を返しにいき領収証を差し替えたものであると証言を変え、さらに当日は昼ころ清算金を持っていき、夕方に領収証だけを持って行った旨証言したり、当日は領収証だけ持って行って、清算金については持って行っていないと答えたりしており、同証言の変遷は甚だしく、それだけでも著しく信憑性を損なうといわざるをえない。

しかも、当審取調べにかかる、当時、明治生命藤井寺営業所の所長をしていたLの検面調書二通、同営業所の事務員をしていたMの検面調書二通及び当審第九回公判における同人の証言並びに押収してある生命保険申込書写し(〈押収番号略〉)、第一回保険料充当金領収証写し(〈押収番号略〉)、その裏写し(〈押収番号略〉)、チェックシート写し(〈押収番号略〉)及びジャーナル写し(〈押収番号略〉)によれば、次の事実が認められる。

被告人の本件保険契約を扱った明治生命藤井寺営業所では、客から外交員に第一回の保険料の支払いがあると、事務員のMが外交員から保険料の現金と領収証控綴(もともと領収証は三枚複写になっており、客に一枚を渡し、残りが領収証綴の控えとなった残る仕組みになっている。)及びチェックシートを受け取り、これらを確認対照し、領収証控綴の裏表紙に検印し、その後Mがコンピュータに入力する。その際、現金、領収証控、チェックシートのいずれか一つでも欠けたり、あるいは領収証控に日付の記載もれのまま入力することはしない。被告人の五月一九日の保険料支払いは、当日午後二時三分に入力がなされているが、本件保険契約はもともと被告人が従来加入していた保険契約を保険金の大きいものに変更したものである。被告人から四月二八日にいったん二万六〇四〇円の保険料が支払われたが、今回の第一回保険料としてはもらいすぎであったところ、被告人にはこれまでに滞っていた保険料があり、もらいすぎ分をこれに充当した。その結果逆に三九〇円の不足が出たというものである。

右事実を前提とすると、Iが被告人に対し清算金を返還した事実はなく、また、Iの証言するように、同人が当日午後七時ころ被告人の面前で領収証の日付を記入することもないといえる。もっとも、弁護人は当審弁論で、当審第九回公判でMも、IがMに対し、「事件の日に契約者(注、被告人の意と解される。)と会っているのでその人は犯人ではない。」と言っていた旨明確に証言しているところから推しても、少なくとも、同日「××」に赴いてその場で被告人に領収証を手交しているとの証言については信用でき、この点に限ればI証言は一貫している、と主張している。しかし、Iは、当審でも保険料領収証の日付は、当日「××」に行ったときに入れたとの記憶は間違いないと証言し、同時に一九日という日は被告人のスナックから出た保険金領収証の日付をみて言えるものであるとも証言しており、当日「××」を尋ねたという記憶は右保険金領収証の日付と密接に結びついていることが窺われ、その日付が遅くとも前認定のとおり当日の午後二時三分以前に記載されていたということになると、仮にIが当日「××」を訪ねたとしても、その時間は午後二時三分より前と考えざるを得ない。

また、I作成の前記手帳によると、五月一九日の訪問予定先の最後の欄に甲として、印かん証明、第一回充当金の記載がある。その他、同手帳の五月六日、八日の最後の欄にも甲印かん証明の記載がある。何故、被告人の契約について何度も、しかも、五月一九日の清算段階まで印鑑証明書が必要になるのか納得のいく説明がない。

Iは被告人を顧客とする保険外交員で、当審取調べにかかる平成二年一一月一四日付け明治生命保険金課作成の捜査関係事項照会回答書(〈書証番号略〉)によれば、Iは同人の原審における第一回の証言前に被告人の母Dからかなり大きな保険契約を獲得している事実が認められる。

これらの事情を合わせ考えると、Iの、当日午後七時ころスナック「××」の前で被告人に会って第一回保険料充当領収証を交付したとの証言は、被告人のアリバイ主張を裏付けるものとはいえない。

(三) J証言について

同証言の被告人のアリバイに関する内容はおおむね、当日午後七時三、四〇分ころ、スナック「××」で被告人と会い、同人を食事に誘ったが、もう食べてきたと言って断られ、一〇分くらいして被告人は店から出ていった、その日は連休前で自分も同店で遅くまで飲み、Kと一気飲みをして翌日になって被告人から車で家まで送ってもらった、というものである。

Jは、本件当時スーパーマーケットジョイフル国分店で精肉販売専門店「ミートショップ浅田」を経営し、毎日のように「××」のチーフFから電話による依頼を受け、同店に入用の野菜や果物類をジョイフル国分店内のライフストア等で買って届けており、被告人とは八年来の友人関係にある。自分の店の定休日は毎週水曜日で自分は大体休みの前の日にしか酒は飲まない、しかし、五月一九日月曜日はたまたまジョイフル国分店内のライフストアが連休となる前の日で、スーパーマーケット内の専門店も一緒に休むことになっていたので、よく記憶している旨証言している。当日Jが「××」にいつもどおりFから頼まれた品物を届けたことを裏付ける証拠としては、前記レシート、領収証及び納品書等の証拠物がある。しかし、Jは被告人らからは昭ちゃん(ショウちゃん)と呼ばれていたものであるが、本件当時のスナック「××」の付けのノート(〈押収番号略〉)を見てみると、同人は別に休み前に限らずかなりひんぱんに「××」で飲酒している状況が窺える。しかも、付けの金額からみて相当量飲酒していると認められる。ところが、五月一九日にかぎって同人の付けの記載がない。関係証拠を検討しても、その日に限って同人が現金で支払いをしたとか、一緒に一気飲みをしたKが、一気飲み以外のJの飲酒代を支払ってやったなどという事実は全く見当らない。

Jが、スナック「××」に注文の品等を届けるのは五月一九日に限定されることでもない。また、五月一九日のレシート等があるからといって、同人が七時三〇分または四〇分にスナック「××」で被告人に会ったことの裏付けにならないことも明らかである。

後に遠藤弁護士の証言内容、その信用性について検討するが、同証言によれば、被告人は捜査段階で当時被告人の本件弁護を担当していた遠藤弁護士にアリバイ証言をするよう何人かの人に依頼してくれと頼んでおり、Jもその対象者の一人である。

Jと被告人とが長年友人関係にあったことなども考えると、J証言も被告人の本件アリバイ主張を裏付けるものとはいえない。

(四) K証言及びE証言について

Kは、五月一九日の午後八時七分前くらいに藤井寺市〈番地略〉の自宅を出て、そこから歩いて一、二分の喫茶店「モナミ」に行ったが、午後八時五分くらい前、同店に入る直前に被告人の車が同店前の交差点(〈番地略〉)の手前に停止しているのを見掛けて被告人に声をかけた、その時は小雨が降っていた、午後九時前に「モナミ」からスナック「××」の店に回った、当日同店は割合すいており、昭ちゃんも来ていたが、同人と話しをし、そのうちいろいろ話がはずんで、皆で一気飲みを始めた、かなり酔って帰りは被告人に車で家まで送ってもらった旨証言している。

また、Eも、警察で事情を聞かれた時は一九日のことは全然覚えていなかったが、現在(注、証言時の意と解される。)では付けのノートを見て記憶がよみがえり一気飲みのときを思い出した、当日、甲から、店に行く車の中で、「信号のとこで、Kさんと、ここできしなに会うたんやで」と言われたなどと証言している。

原審第二四回公判における被告人の供述によれば、もともと一気飲みの事実は、被告人が起訴後で羽曳野警察署に勾留されている七月初めころ、家族の者に付けの台帳(〈押収番号略〉)を持ってきてもらい、これを調べているうちに五月一九日の欄に「オリュウ、五七、五〇〇」と書かれているのを見て思い出した、これに関連して午後八時ころ、前記「モナミ」前の交差点でKに出会ったシーンも思いだした、というものである。K証言の真実性を担保するものとしては、前記「喜久」の付けのノートがある。また、前検討のJ、次に検討するFもほぼK、Eに符号する証言をしている。

しかし、K証言に関しては、まず、五月一九日にかぎって自宅を出た時間を分の単位まで正確に覚えているのはいささか不自然の感がする。当日自宅を出るとき及び「モナミ」に着いてからも時計を見たと証言しているが、何故この日にかぎって特別の事情もないのにわざわざ時計を見てまで喫茶店に行き、さらに、喫茶店に着いてからも時計を見、しかも、その事実を記憶にとどめていたのか疑問である。

また、当審第八回公判においてMは、Kが原審で証言する前に、Nの経営する喫茶店「マック」を訪ねて、同人に対し、被告人の件で証人に呼ばれていることを打ち明け、晩八時ころ信号の角っこで被告人を見たことについて証言を求められていること、被告人を見た日ははっきりしているかと質問すると、多分間違いないと思うが、はっきりいわれると自信がない様子で、証言することについてかなり深刻に悩んでいた感じはあった、また、Kが証人として出廷した後、一回は被告人の母親に頼まれて、自分がK方に新築祝いを届け、もう一回は母親自身が「マック」の店のカウンターの下でKに交通費の名目で現金を渡しているのを目撃した旨証言している。Kは新築祝いをもらった事実は認めるものの、証人に立ったことで、被告人の母親から金銭を受領した事実はないと証言している。しかし、本件で何の利害関係もないNがうそを言っているとは思われず、右金銭の授受はあったと認められる。したがって、Kの証言には不明朗な点がある。さらに、Kは、スナック「××」で多量に飲酒したのは、この五時一九日しかないと証言するが、付けのノートを見てみると、五月三日にも「オリュウ30200」の記載があり、その付けの金額に照らすとこの日も同証人は、同店で多量に飲酒した可能性があり、しかも、原審取調べにかかる捜査関係事項照会書添付の大阪管区気象台長作成の回答書(〈書証番号略〉)によれば、五月三日は藤井寺市に近い堺市や河内長野等で相当の降雨があった事実が認められる。また、Kは、五月一九日被告人と「モナミ」の前で会った旨証言しているが、同証人自身認めているように、同人は、それまでにも被告人と藤井寺市内で何回も会っているのであって、いずれにしても、他の場合と混同している疑いが強い。また、仮に、事件当日被告人と会ったとしても、その時間の記憶は信用のおけるものではない。さらに、Kがスナック「××」に行ったのは午後九時ころであるから、これが事実であるとしても、被告人の本件犯行と必ずしも両立しえないものではない。

E証言については、当初警察で取調べを受けた際には、本件当日の被告人の行動については全く記憶がない旨答えながら、五月一九日から一年半近く経った公判廷で前記のような証言をするのは不自然である。同人は付けのノートを見て記憶がよみがえったと言うようであるが、不自然さは払拭できない。そもそも同証人は、Kの来店の状況については、証言時点において不正確な記憶しか持っていない。同証人は、六月以降はKは店に来ていないと答えているが、前記付けのノートによれば、七月一二日にもKが来店している事実が窺える。また、付けについても前記五月三日の三万を超える付けについては全く記憶していない。Eは被告人の叔母にあたる人物で、被告人を庇いたい気持ちになるのは人情として理解できないではなく、他の場合とすり替えるか、あるいは取り違えて証言していると思われる。

したがって、K証言及びE証言も被告人の本件アリバイ主張を裏付けるものとはいえない。

(五) F証言について

関係証拠によれば、Fは、昭和六一年三月ころ、スナック「××」にチーフとして採用され、同年八月ころ同店を退職している。同人は、六月末ころEから五月一九日のことで被告人の行動の分かる領収証などはないか探してくれと頼まれ、そのころ前記付けのノート及び保険料領収証を見つけて、被告人の家族に渡したものである。

同証人は、Iが店に来た日と、同店でKらが一気飲みをした日が同一であり、五月一九日と証言している。同人は原審第一六回公判で、検察官の、どういうことで保険屋のおばさんが来た日が、その一気飲みをした日だというふうに覚えていたのか、との質問に対し、その日雨が降っていたのとマスター(注、被告人の意)がめったに着ない白のスーツを着ていたというので結びついた、と答え、更に検察官の質問に答えて、そのことを思い出して記憶が固まったのは検事に会う前後ころであった、と証言し(注、原審で同人の七月一日付け検面調書三通が証拠請求されている。)、さらに、保険屋のおばさんが来た日については、一九日付けの領収証があったので、などと証言している。結局、同証人は、付けのノートや保険料領収証を根拠にIが「××」に来た日と一気飲みのあった日を特定し、その両者を結びつける証言をしているものと認められる。

他方、原審でF証言の弾劾証拠として、前記検面調書のうち二通が取り調べられているが、その一通(九丁のもの)には、同人が昭和六一年六月中旬にEから頼まれて山上弁護人らに会った際の状況についておおむね次のような供述内容が記載されている。

「そこに集まったのは、マスターの母D、その妹(注、Hと思われる。)、E、明治生命の外交のおばちゃん、O(注、被告人の叔父)、その他マーコと呼ばれている店によく飲みに来ていたヤクザ風の男、それに弁護士(注、山上弁護人と思われる。)であった。

そこで、弁護士から事件のあらましが説明された。この時は、保険屋のおばちゃんが『五月一九日に顔を出した。』と言っていた。おばちゃんが言うには、『五月一九日午後六時ころ、「××」に顔を出したところマスターがいなかった。子供の車で送ってもらったのでそこで待っているとマスターが帰ってきたので、マスターに会って領収証をもらった。』と言い、私にも『あなたも覚えているでしょう。』と言ってきた。しかし、私はそのような話を聞いてもそういうことがあったともなかったとも断言できるほどの記憶はなかった。そこで、『はっきり覚えていないし、どちらとも言えない。』と返事をしたが、おばちゃんはそのように言い張った。そのおばちゃんの話が出るとその場の雰囲気が、当然そういうことがあったはずだというふうに変わり、私としては周りの人が私に対し、おばちゃんの話に合うような話をするよう期待しているような感じがした。そこで何となくいやな感じがした。この時も私としてはいいにくいことでしたが自分の記憶どおり述べた。その時五月一九日Kさんが一気飲みをしたことを話すと弁護士さんは『Kさんの証言もほしいところだな。』と言っていた。七月に入ってマスターの母親とその妹と一緒に弁護士事務所に行って、同じ弁護士さんから同じことを尋ねられ、私の答えは前と同じだった。

その後、私は八月中旬であったか八月いっぱいであったかで、「××」をやめた。その理由は、昼も働いており、夜はアルバイトのつもりだったのですが、やはり昼の仕事に影響するという体力的なこともあったが、マスターのことでかかわりあいになるとヤクザのような人もいるし、自分の記憶とは違うことを押しつけて証言させられるおそれがあり、それが嫌でたまらなかった。」というものである。

また、もう一通の同人検面調書(二丁のもの)には、五月一九日に被告人が店に何時ころ来たかについては思い出せない、との供述が記載されている。

ところが、Fは公判では前記のとおりの証言をしている。しかも、その証言はかなり詳細かつ具体的である。「K、Jの昭ちゃんらと一気飲みをやり、午前二時前後ころKらがマスターに送ってもらった、またその日に同女が蝶々の絵が書いてあるメーカーものの傘を忘れ、付けにした分を支払いにきたときに、傘なかったかということで、みんなで捜して、あった。また、保険屋のおばちゃんが来て、その時マスターは食事に行って少し待ってもらったが、帰ってきたマスターから『これ預かっとってくれ』と言って本件領収証を渡され、それを店の棚にしまった。保険屋のおばちゃんが店に来たのが五月一九日夕方であることは領収証を見て思い出した。また、Jの昭ちゃんは毎日午後七時半には「××」にくるが、この一気飲みの日には、昭ちゃんの連休の前日で、連休にはディズニーランドに行くと話していたのを覚えている。」というものである。また、同人は原審第一六回公判で、証人として出頭したことに関して、「かかわりたくはなかったが、被告人の叔父から嘘をいうわけではない、記憶にあるとおり話をしてくれればよいと言われた。検事に事情を聞かれた後、もう一度思い出してみようと真剣に考えて、記憶をとり戻したことを話すことにした。」旨証言している。

しかし、同人が五月一九日にIに夕方会ったり、Jと午後七時半ころ会ったり、当日一気飲みがあったことを正確な記憶に基づいて証言しているかは甚だ疑問である。むしろ、あいまいな記憶又は記憶にもないことを強弁したりして、さも真実の出来事であったかのように証言している疑いが強い。現に同人は、Iが被告人の留守中に訪ねて来て、外で被告人の帰りを待っていたと言うが、Iは一度自宅に帰って改めて出直したと証言している。また、同人は、Kが当日店に傘を忘れたことに関して、後日Kが店にその日の付けを払いに来て、その話を聞いてみんなで捜したら出てきたと証言しているが、Kは、当審第一〇回公判で、自宅の前で降ろしてもらって、傘がないというので、あとでママから門の中へ入れておいたと聞いて、そこを見たら傘が出てきました、と証言している。

また、前検討のとおり、Iが当日夕方スナック「××」を訪ねてきて被告人と会った事実はなく、またJが当日同所で客として飲酒した事実も疑わしい。

したがって、F証言もまた被告人のアリバイ主張を裏付けるものとはいえない。

(六) 小括

当審弁護人は弁論で本件アリバイに関して要旨次のような主張をし、その真実性を強調している。

被告人のアリバイの主張は、逮捕当初被告人が犯行を否認し、当時担当していた遠藤弁護人からアリバイがあるのか尋ねられ、自分はいつもの生活のサイクルからみて、「午後六時か七時にはまちがいなく店に入っている。」と主張し続け、さらに、同弁護人に対し、「アリバイの手掛かりをつかみたいので店の台帳や領収証を持ってきてくれ。」とか「肉屋をやっていて店に品物を持ってくるJに会って見てくれ。」などと同弁護人にアリバイに関する事実調査を依頼した。そして、前示のような経過で起訴後の七月初めころ家族の者を通じて付けのノートや保険料領収証を届けてもらって、本件アリバイを思い出したものである。被告人のアリバイの主張の特質は、パチンコをしていたとか、映画を見ていたとか車を走らせていたとか、何処かで飲食していた等ではなく、毎日の判を押したような生活パターンを点検し、そうすれば自分が駒ケ谷に行っていないことが分かるというものである。自分の仕事に意欲を持つ勤労者としての健全な姿勢と自信がのぞいており、先ず信頼感を抱かせる。台帳などを検証することによって、かえってアリバイが崩れることもあり、アリバイ証明を無防備に弁護人に委ねているところに無実の確信を読みとることができる、というものである。

しかし、遠藤弁護士はそうは言っていない。同人の原審第二八回公判における証言によると、「被告人は、自分は夜が遅いので午後二時ころまで寝ている。それから起きて午後七時ころから店に出る。その間は日によって行動が違う。こういうことで、被告人から、その日に俺が店におったというとにして、店のチーフ、それから国分のライフの肉屋の人が店へ商品を届けに来た際に俺がおったということを言ってもらってくれ。それから四時一五分ころカトレアの喫茶店に一時間近くおったということをカトレアのママに言うてもらってくれ、と言われ、何か記録しているものがあるか、と尋ねたら、台帳を見たら分かると言った、その台帳はその日に書くこともあるし、二、三日ため書きすることもある、自分としては、そのことが間違いがなければと思って聞いてみたが、その台帳が極めてあいまいなもので、そのようなことで動いたら必ず弁護士会へ呼び出されるので、それはよしやよしやと言うたまま動いていない。物事の経過から考えておそろしいことやと思って、日本の警察はそう簡単に間違って人を逮捕することはない、と言うている。」というものである。

以上、関係者の証言その他のアリバイに関する証拠を検討した結果、各証言には虚偽あるいは記憶違いの部分があると認められ、本件アリバイの主張によってA証言の信用性が直ちに左右されることはないといえる。

3  原判決のいう犯行車両の未発見がA証言の信用性に与える影響

(一) Aは、本件捜査段階ではほぼ一貫して犯行車両は赤色のマツダファミリアで、サンルーフ付きと供述していた(五月一九日付け、同月二四日付け及び六月一二日付け各警面調書、六月一二日付け検面調書、なおそれ以外に母Cの五月一九日付け司法警察員に対する告訴調書及び司法警察員作成の六月七日付け実況見分調書(当検一〇九)の立会人Aの指示説明部分からもその事実は窺える。)。その他に六月一二日付け検面調書には犯行車両の特徴として、後ろがトランクになっていないハッチバックであったとの供述記載がある。被告人は捜査段階で何度か供述を変更し、最終的には犯行を自白して起訴されたが、犯行を自白している時期にあっても、当初は犯行に使った車は自己所有の外車(サンダーバード)と供述し(六月一〇日付け検面調書、同月一八日付け警面調書及び検面調書)、起訴直前の六月一九日、同月二〇日に警察官、検察官に初めて犯行車両についてA証言とほぼ一致する供述をしたものの、その車については自分が世話になっている人の車で口が裂けてもその名前は言えないなどと供述している。そして、警察の懸命の捜査にもかかわらず、原判決までは、被告人の周辺から該当車両は発見されなかった。

この点で原判決は、「A証言でいう犯行に使用された自動車が、車種及び色、構造の特徴からみて数の少ないものであるのに、被告人やその関係者の身辺からついに発見されなかったことは、被告人がA証言でいうような自動車を運転していたということに強い疑問を感じる。」、また「被告人が車の所有者に自己の犯行を知られることが嫌だとか迷惑がかかるとかいう理由で所有者の名前を言うことを拒否し続けていることは理解し難い。……被告人はそのような車にかかわっていないのにあえてかかわっているような虚偽の供述をせざるを得なかったからこそ、理由にならない理由を付して車の所有者の名前を言うことを拒否せざるを得なかったのではないかとの疑いを生じる。また、そのような車が被告人の身辺から容易に発見されるはずであるのに発見されていないことは、犯人は被告人ではないのではないかとの疑いを生ぜしめるものである。」と判示している。したがって、被害者のいう犯行車両が被告人の周辺から発見されなかったことが原審の無罪判決の大きな理由になっていることは明らかである。

検察官はこの点に関して、控訴趣意書の中で次のように主張し、当審でその立証に努めてきたところである。

すなわち、犯行車両が発見されていないからといって、A証言の信用性は影響されないが、原判決後、改めてAの証言するような自動車の存在について捜査を実施したところ、本件犯行当時、正しくそのような自動車が被告人の周辺に存在していたことが明らかになっている。その車の発見によって、Aの供述の信用性は更に裏付けられた、というのである。

弁護人は検察官の右主張に対して、答弁書の中で以下のように反論している。

検察官主張のような車が仮に存在していたとしても被告人が犯行時右車両の貸与を受けていたのか不明であって、貸与の事実が証明されないかぎり、右車両が本件犯行に使用された事実が明らかにならない。しかも、検察官の見つけてきた車はサンルーフ付きではなく、検察官は、Aの証言によれば、犯行車両がサンルーフかどうかについては明確な記憶がない、とぼかしているが、Aは捜査段階で一貫して犯行に使用されたマツダファミリアにはサンルーフがあったと供述しているのであり、サンルーフ付きでなければ同車両は本件犯行に使用されていないと判断するほかはない。しかも、原判決も指摘するとおり、被告人が犯人だとすると、犯行車両の貸与者及びその車両は容易に発見されるはずであり、被告人が車の所有者に自己の犯行を知られることが嫌だとか迷惑がかかるという理由で所有者の言うことを拒否し続けること自体不自然である、というものである。

そこで、当審検察官のいう前記車両を特定した上、改めて犯行車両に関するAの証言・供述の変遷の跡をたどり、果たして同車両が本件犯行に使用された車であるか否か及び同車両と被告人との関係を考察し、その結果を踏まえて如上の原判示の当否について考察してみる。

(二) 原判決までの警察の犯行車両の捜査経過並びに検察官が当審で犯行車両と主張する車の特定、その発見に至る経緯及び同車と被告人との関連性

(1) 司法警察員作成の昭和六二年九月二五日付け強姦被告事件使用車両の捜査状況報告書(〈書証番号略〉)によると次の事実が認められる。

警察ではAがいう赤色マツダファミリア、サンルーフ付きの普通乗用自動車について、昭和六一年一〇月末から昭和六二年六月までの約八か月間、大阪府下の登録自動車について、被告人との関連、盗難の有無、他の者への貸与等について聞き込みを実施したけれども、該当車が発見できなかった。

(2) 当審第四、五回及び第一五回公判における角江暹の証言、同証人作成の平成三年六月一日付け「犯行使用車両の割り出しとその特定並びに同一車種の入手について」と題する捜査報告書抄本(〈書証番号略〉)、P及びQの各検面調書(ただしP分については第二項を除く。)、当審第六回公判におけるRの証言(人定質問事項を含む。)、大阪府知事作成の自動車検査証写し(〈書証番号略〉)、近畿運輸局大阪陸運支局長作成の抹消登録証明書(〈書証番号略〉)及び押収してある写真五枚(〈押収番号略〉)によると次の事実が認められる。

本件の一審の無罪判決を受けて、捜査側では犯行車両について全面的に洗い直すことになり、犯行当時羽曳野警察署の刑事課長でその後大阪府警察本部所属になった角江暹警部(以下「角江」又は「角江警部」という。)が捜査の指揮をとって、Aの再事情聴取を実施して犯行車両の特徴について再確認した結果、同人が車は天井に四角い枠のようなものがあったが、いわゆるスライド式の天窓のあるサンルーフではなく、その他の特徴として、赤色のマツダファミリアでハンドルは銀色のラベルに「マツダ」というローマ字が付いており、車内の内装が黒とグレーもしくは黒と白のストライプ模様の車両であったと言い出した。そこで、角江警部らは、大阪府警察本部総務部情報管理照会センター保管の他事件の関係で得ていた廃車登録の電算資料の中から、マツダファミリア赤色のサンルーフ付きでない型式BD一〇五一の廃車登録の抽出を依頼した結果、同センターからの回答で該当車両数百台が抽出された。そして、個々にチェックした結果、その中に、羽曳野市内に存在する元暴力団白神組内浅田組舎弟で、被告人の叔父Oと兄弟分にあたる大成会副会長のP名義の赤色マツダファミリアXTシャトレ型式BD一〇五一、初年度登録昭和五六年六月二五日車両番号○○○○○○が発見された。同車両は、昭和五八年以降Pの経営していた会社の従業員のR(以下「R」という。)が借り受けて使用していた。Rの住居は羽曳野市〈番地略〉で古市駅の近くにある。Rは昭和六〇年春ころ、大阪府南河内郡にある自動車修理業の陽厚自動車(経営者Q)に依頼して、同車のベージュ色の座席シートやドアの内張りを取り外し、同じマツダの値段の高いXG車種の黒とグレーのストライプ模様の車両の座席や内張りの内装部品に取り替えたが、同車両で事故を起こして、結局昭和六一年一〇月七日同車両を廃車処分にしている。

(3) そして、前記角江は当審第一五回公判で要旨次のような証言をしている。

右車両を本件犯行当時被告人に貸与した事実があるかどうかについて、警察で関係者を調べた結果、Rは被告人に貸与した事実は否定しながらも、被告人と親しい関係にある暴力団員Sに貸したことがあり、自分は直接被告人に貸していないが、Sの方から被告人に貸したのではないかと言い、Sは、「自分もRも無罪判決が出た後で暴力団の兄貴にあたる甥御の話はできない。自分が直接貸さなくても、Rと被告人とは十分に貸し借りはできる。Rも外車の運転ができる。」旨の供述をしていた、というものである。ところで、Aは、原・当審公判で強姦の後被告人の古市駅で車から降ろされ、そこからタクシーで藤井寺駅の近くまで帰ったと証言している。Rの住居は同駅近くであり、被告人がAを自動車から降ろしてその車をRに返したとするとつじつまがあう。しかも、被告人は捜査段階で最終的に自白し、犯行車両をマツダファミリアと供述したときでも(被告人の六月一九日付け警面調書及び同月二〇日付け検面調書)、その車は世話になっている人のもので、口が裂けても言えないなどと供述しているが、被告人が最初から若干なりとも事情を打ち明けて車を借り受けたとすると、その車の持ち主を明らかにすることによって、同人に迷惑がかかる事情も十分理解できる。また、弁護人は弁論の中で、本件が被告人の犯行とすると、当日Aに偶然会って、犯意が生じたことになるが、それにしては、車両の中に凶器のナイフ、照明用の懐中電灯などがたまたまあったということになり、余りに都合のよい偶然が重なりすぎていると主張している。こうした偶然の重なりがないとはいえないが、一つの可能性を示すのにとどまるのであって、他方被告人が予め前示のように事情を打ち明けて車両を借り受けたとすると、疑問は氷解するようである。しかし、これも単に一可能性を示したにすぎない。角江の証言もあくまで伝聞であり、Rは当審第六回公判で、問題の車を「他人に貸した事実はないが、Sが同車両に乗ったかどうかわからん。」旨供述している(もっとも、Rは同時に「被告人の店にはSに連れられてこれまでに五、六回酒を飲みに行ったことがある。」とは供述している。)。角江があえてうその証言をしているとは感じられないが、しかし、同証言だけでは被告人が犯行当時前記改装されたP車を使用していた事実を認定することはできず、ましてや被告人が同車両を使って犯行に及んだと認定することも不可能である。ただ、捜査の範囲を広げれば、被告人の周辺からも、このような車両が発見される可能性は否定することができない。

(三) 犯行使用車両に関するAの供述の変遷

原審取調べにかかるAの各検面調書及び警面調書、Aの原・当審各証言及び当裁判所の平成三年八月九日付け検面調書(ただし、平成三年七月二日実施の自動車の検証の結果を記載したもの)等によると次の事実が認められる。

(1) Aは、前記のとおり捜査段階においては、ほとんど一貫して犯行車両はサンルーフ付きと供述していたものであるが、Aの昭和六一年六月一二日付け検面調書には、さらに「車は赤色、右ハンドルの車でシートは黒にグレーの縞模様になっており、ドアに肘かけが付いていた。また、ハンドルにローマ字でマツダと書かれ、今、車の本を見せてもらい、マツダファミリアのハッチバックという車であることは間違いない。後ろはトランクになっていない形でした。」旨、「その他に、車内はタバコの吸殻や灰がそこらじゅうに落ちており、電気がついて光る花がついていた。ダッシュボードの上には黄色っぽい書類や物がいっぱい置いてあった。最初甲に『いつもの外車はどうしたんですか』と聞いたら、甲は『あるよ、これは仕事用の車や』と言っていた。」旨の各供述記載がなされている。

(2) ところが、原審第五回公判では、車の色(ただし、色については全体が赤で黒いラインが入っていた、と供述)、形、内装、車内の汚れ具合等については捜査段階とほぼ同じような証言をしながら、天井はサンルーフになっていたかどうか覚えていない、と証言し、第六回公判で、弁護人からこの点を追及されて、「本件まで、サンルーフという名前は分からなかったが、天井が開けられる車があることは知っていた。(注、警察官等に対し)サンルーフ付きということは、あったかもしれないと答えただけで、そのことは詳しく分かりませんでした。」などと供述している。

(3) そして当審に至っては、まず、第三回公判で、「サンルーフを天井の四角い枠と思ってまして、開閉できたりするものをサンルーフと思っていなかった。天井を見たときに枠が見えたかというようなことで話したときにサンルーフだと思って、そう答えた。」と証言し、さらに、第四回公判では弁護人の問いに答えて、サンルーフという言い方は、自分で使った言葉ではなく、「私が言ったことがそういうふうに解釈されたんじゃないか、と思う。」旨の証言をした上で、弁護人から四角い枠の意味について追及され、「縁のことを言っただけで、何かついてるとかそういうのじゃなくて、天井自体をサンルーフ付という意味で取った。」などと証言している。

ところが、平成三年七月二日の自動車の検証の際同時に実施された当裁判所の期日外証人尋問では、車の天井内張りの横線を指して「私が言った線というのはこのようなものです。」と証言し、しかも、その内張りの線は検証の結果によると四本存在していたのに、Aは、そのうち二本しか記憶になく、「自分の目に入った線とそのむこうの線がじっと見れば浮き出てくるのです。それを覚えているのです。」とも供述している(当裁判所の証人尋問調書)。もっとも、車の車種、色、内装、ハンドルのマツダのマーク、車内部の汚れの状態などについて、その証言は、当審でもほぼ一貫している。

以上のとおりである。

本件の起訴検察官で原審第七回公判まで公判立会をした大岸嘉昭(以下「大岸検察官」という。)は当審公判(第一一回ないし第一三回)で、Aの証人尋問に際し、事前の打ち合わせで、同検察官がAに「あなたの言うようなサンルーフ付きのファミリアが見つからないのやけど、なんでや。」と聞いてみたら、Aが「サンルーフ付きとは言っていない。天井に四角い枠があったので、それをお巡りさんに言ったら、サンルーフということになった」と話した旨証言しながらも、捜査段階では自分が調べたとき天井にこういう四角い枠があったと説明し、空中にも図示したので、自分もそれはサンルーフ以外にないと思って、その旨調書に記載したが、自分も天井のどこに四角い枠があったのか、その大きさについてまでは聞かなかった旨の証言もしている。

(四) 小括(犯行車両の特定の可否及びその点がA証言全体の信用性に与える影響)

検察官は、当審弁論で、被害者Aの証言する車両の特徴を備えた車は前記P車の泉○○○○○○号一台だけである。同車両は、Aが公判廷で証言する犯行車両の特徴と一致する。同車なら被告人が捜査段階で明らかにしなかった理由も納得でき、結論として右車両が本件犯行車両とほぼ断定し得る。被告人があえて捜査段階の供述でサンルーフ型につき異を唱えなかったのは、そのことを知った上での意図的迎合としか言いようがない。そうすると、A証言がいうような自動車が被告人やその関係者の身辺から発見されていないとの原判決の指摘は理由がないことになり、紆余曲折を得た捜査の結果ではあるが、振り返って、A証言の信憑性は極めて高くなったものと確信する、と主張している。

他方、弁護人は、当審弁論で次のとおり反論している。

検察官の本件立証は、たかだか、Pはマツダファミリアシャトレを所有していた、それをRに使用させていた、その車は廃車処分され現在存在しない、そのマツダファミリアシャトレとはこのような車である、RはQに頼みマツダファミリアシャトレの内装をマツダファミリアXGの内装に変えた、XGとはこのような車であるということを証明するだけのことであって、本件と関連性のない全く不必要な立証というべきである。右Pの車が本件犯行に用いられた車両だとするならば、公判廷で、被告人にRあるいはSが貸したということを立証しなければならず、しかも、その貸した日時は五月一九日の被害者のいう犯行時間帯と矛盾しない時間帯ということまで立証を尽くす必要がある。弁護人は、いかに警察が捜査しようとも被告人の周辺からは、Aのいう犯行車両は現れないと断言してもよい、それは被告人が本件の犯人ではないからである、というものである。

確かに、前示のとおり本件程度の立証では、検察官の主張するP車を本件犯行に使用されたと認定することはできない。

犯行車両時に同車のサンルーフに関するAの供述は前示のように変遷し、あるいは、弁護人指摘のように、捜査官の意図を察知して供述を変えているとの見方もできないではない。Aは、自分が捜査段階でサンルーフと言ったのは天井に四角い枠があったからであるといい、その形を空に指で図示までしながら、それはサンルーフ付きでないと証言し、自分が言ったのは天井の横の内張りの線だというのも直ちに納得のいく説明とはいえず、むしろ、犯行車両は捜査段階のAの供述どおりサンルーフ付きではないかとの疑いを払拭できない。しかし、翻って考えてみると、サンルーフの有無を除いて犯行車両に関するA証言は捜査段階での供述、原・当審公判の各証言共ほぼ一貫しているのであって、しかも極めて具体的である。Aが第三者を庇って被告人を犯人にでっちあげるためなら、手っ取り早く犯行車両は被告人が日頃乗っている外車と言えばよいはずである。前掲の司法警察員作成の六月七日付け実況見分調書によれば、Aと犯人との当初の待ち合わせ場所から犯行現場までは、道幅の狭い場所もあり、被告人が普段乗っている大型の外車では通行することがほとんど不可能であるが、Aは警察官に対し、被害当日から犯人は被告人であるといいながら犯行車両についは赤色マツダの乗用車と供述をしているのであって(司法警察員作成の「強姦容疑事件発生報告書」と題する捜査報告書(原弁九)、Aの五月一九日付け警面調書等)、その時点でAが犯行現場への道筋が外車では不可能であることまで見抜いて、そのような作り話をしたとは到底思われない。前示のように犯行車両に関する一審段階までの捜査は大阪府下の登録自動車でマツダファミリア、サンルーフ付きに対象が絞られ、原判決後の捜査では、マツダファミリア赤色のサンルーフ付きでない型式BD一〇五一の廃車登録の車に限られている。本件で被告人と何らかの関係のある他県登録のマツダファミリア、サンルーフ車が犯行に使われた可能性がないとはいえず、警察の捜査から犯行車両が被告人の身辺から発見されなかったからといって、被告人の犯行が直ちに否定されるものでないことも明らかである。また、前記検察官が当審において立証したところによれば、あらゆる点からP車が本件犯行使用車両に近く、Aがサンルーフ付きでない車を捜査官の誘導や同女の思い違いからサンルーフ付きと供述していた疑いも否定し去ることはできない。本件では、捜査段階でAの取調べに当たった警察官又は大岸検察官が犯行車両を図示させておれば、決め手になるかどうかは別として、同車がサンルーフ付きであったか否かもう少し明確にすることができ、場合によっては被告人の周辺から容易に犯行使用車両を発見できたとも考えられ、捜査の手落ちも否定できない。本件A証言(前記当裁判所の証人尋問調書を含む。)は、同証言の全体の信用性を幾分損なっていることは率直に認めざるを得ないが、同人を一概に責めるのは酷であって、被害者(A)は真実本件のような屈辱的な被害に遭いながら、犯行車両が発見されず、捜査官の手落ちもあり、他方弁護人からは誣告であるなどと言って厳しく追及されるなどして、前示のような変遷する証言をしたと考えられる。いずれにしても、犯行車両に関するA証言はサンルーフ付きの点を除いて十分信用できるのであって、被告人が犯人であるとのA証言の核心部分の信用性までも否定するものではないといえる。

4  被害者(A)の証言から窺える犯人像と被告人自身とのかい離について

原判決は、犯人のビールの飲み方と被告人の酒量とでは異なっており、この点のAの証言は肯定し難いと判示し、弁護人はその他にも犯人と被告人とではたばこの好みや喫煙量も違いがあり、また、当日犯人と出会った時点で、被害者が犯人から脅迫された内容や、自動車の中での犯人の話等に被告人と結びつくものがないとして、被告人が本件犯人でないことは明白である旨主張しているので、順次検討する。

(一) 飲酒について

原判決は、証拠によると、被告人は酒をほとんど飲めず、店で客に勧められても薄い水割りのウイスキーをコップ一杯くらい飲む程度でビールは飲まず、店の外では酒を飲まないことが認められ、これは要するに体質的にアルコールを余り受けつけず、自ら好んでアルコールを口にするものではないことを示すもので、自動車を運転中に好んでビールを飲むようなことはしないと思われる。被告人の自白調書ではビールを飲んだいきさつにも変遷があり、被告人がビールを飲んだ動機にも不自然な点が認められ、被告人が飲んだというビールの総量が約1.2リットルにもなることを合わせて考えると、かようにビールを飲んだという被告人の自白は首肯し難いと判示し、弁護人は被告人には酒に対する嗜好性はないのであって、酒量からいっても犯人と被告人とは異なるとして、A証言の虚偽性を主張している。

他方、検察官は控訴趣意書で、被告人が酒が飲めないと供述しているのは全くの虚偽で、被告人が犯行の前後にわたり、缶ビールを合計三本(約1.2リットル)飲んでいることは何ら不思議ではないと主張している。

そこで、被告人の飲酒量、その嗜好性について検討してみる。

(1) 被告人は原審公判において、「自分はお酒は飲めない。客に飲めと勧められ、水割りを飲めと言われたら、客の気持ちに背かんように、一杯は作って口を付けるが、そのまま、飲めないから置いときます。ビールはコップ一杯飲んだら真っ赤になる。ビールを二本も三本も飲んだら歩けるような状態ではないと思う。」旨供述し(第二四回公判)、F(原審第一五回公判)、K(原審第一八回公判)、E(原審第一八回公判)、D3(原審第三〇回公判)及び被告人の母D(当審第一一回公判)も被告人が酒を飲めないことを強調する証言をしている。

(2) しかし、当審取調べにかかるD4に対する受命裁判官の尋問調書によれば、被告人は、同証人が昭和五四年ころから昭和五五年ころまで羽曳野市内に開いていたスナックにかなりしばしば来店し、ウイスキーのボトルをキープして、普通に飲んでいて、被告人が一人で飲むわけではないが、一月に一本くらいの割でボトルを空にし、ビールもグラスで飲んでいたし、当時被告人が経営していた「△△」という焼き肉屋でも、客につがれるまま酒を飲んでおり、スナック「××」でも水割りを勧めると口をつけていた、特にお酒を飲んだから乱れるというようなことはなかった旨の証言がみられる。

また、Fは原審では前記のとおり「アルコールは全然だめです。」とか「一切ないです。僕は飲むほうですから飲んでいましたけど、マスターは飲んだことがないですね、食べに行っても。」などとほとんど被告人がアルコール類を飲めないような証言をしていたが、当審第一五回公判では、弁護人の「勧められて口をつけるというか、コップの半分位は飲むとかいうことはあるんじゃないですか」との質問に対し、「あります」と若干異なるニュアンスの証言をしている。さらに、その証言では検察官と次のような興味ある質疑応答をしているので、次に書き出してみる。

「問 平成元年の四月一九日にあなたが松原市の市民病院へ入院中、羽曳野の署員が事情聴取した際に、調書取られていますね。記憶ありますか。

答 あります。あれはよく覚えています。

問 そのときに、あなたはどういうふうな供述をしたか、記憶していますか。飲酒状況とか、五月一九日のことについて。

答 ……同じことをしゃべったと思うんですけども……。

(中略)

問 ところで、そのときの調べでは、酒が全然飲めない人ではないというふうに言っておるんじゃないですか。

答 はい。だから、先ほども言ったように、口つける程度ならという意味で言ったと思うんですけれども。

問 店にやって来た客からビールを勧められたり、ウイスキーとかブランデーの水割りを勧められたら、その都度いただきますと言って飲んでるのを見ておったというふうに言っておるんですけど、どうですか。

答 ですから、グッと飲むとかいう意味じゃないんです。僕の言ってるのは。多分そのときもそういうふうに答えたと思うんですけど、お客さんから勧められたら飲むことがある、それはちょっと飲んで、まあ、置いておくと、そういう感じですんで。

問 先はどの話ですと、常連客はマスターは酒は飲めないことを知っておったから勧めなかったとか、ウーロン茶飲んでおったとか言いましたけど、あなたの平成元年四月一九日付の調書によりますと、常連客から誘われて店を抜け出して外へ飲みに行くこともありましたと言っておるんですが。

答 それはありました。

(中略)

問 そしたら、あなたが言う酒が飲めないというようなことは、言えないじゃないですか。

答 それは付き合いと思ってましたので。

問 マスターが店で飲まないようにしておったというのは、ホステスを閉店後家まで送ってやる必要があったからだというふうに、あなた、言ってますけども。

答 ………

問 閉店まで酒を控えておったんだと言ってますけど。

答 そうですか。……言った覚えはないです。今でもその勤めたころのことを思うと、飲める人じゃないいうのがありますので。また飲める人なら、終わってからも一緒に食事行くことがたびたびあったんで……。」

などというのである。この質疑応答でも明らかなように、Fの、被告人はアルコールが全然だめです、食べに行っても飲んだことがないといった原審証言は明らかな虚偽または甚だしい誇張であって、むしろ、被告人はある程度酒が飲めると椎認できる。

被告人も当審第一七回公判では、少しは酒を飲めるような供述をしている。

原審で被告人及び被告人の身辺にいるものがこぞって被告人は酒が飲めないとか、外で飲むことはないなどと供述しているのは、かえって不自然の感を免れない。

したがって、原判決が被告人はビールを飲まないとか、体質的にアルコールを余り受け付けないと認定しているのは首肯し難い。被告人は当審第一七回公判で、裁判長から、「この裁判になってからでもいいんですが、アルコールに対して強いか弱いかということで、お医者さんに診てもらったことがありますか。」と質問され、「そういうことはないです。」と答えている。なお、この点については正式な鑑定をしてみることも考えられるが、事件後五年以上経過した段階で、当時被告人がアルコールを受けつけ得る体質であったかどうか鑑定することは困難である。A証言では犯人は犯行の前後において缶ビール三本合計約1.2リットルを手にしたものと認められるが、それを完全に飲み干したかどうかまでは明らかではない。仮にそのとおりだとしても、前検討の結果によれば、被告人が本件犯人であることとは必ずしも矛盾しないといえる。

(二) たばこについて

弁護人は、被告人が当時ショートホープを好むヘビースモーカーであったと認められるのに、被告人・被害者の捜査段階の供述調書にたばこを吸う場面の具体的供述が見当たらず、原審公判において被害者は、犯人が現場でたばこを何本か吸ったと証言しているが、それは、現場で発見されたラークの空箱と被告人とを無理に結びつけた虚偽の証言にすぎず、犯人と被告人とはたばこの好みや喫煙量において明らかに異なっていると主張している。

確かに、当審第一五回公判で、Fは、被告人がショートホープ以外吸うのを見たことがない、一日に多いときで一〇箱くらい吸うなどと証言し、母Dも被告人の吸うたばこはショートホープであると証言している(当審第一一回公判)。被告人も、六月二〇日付け検面調書及び警面調書で当時吸っていたたばこはショートホープと供述している。

しかし、前記被告人の飲酒傾向について見たように、FやDの証言には限度があり、同人らの証言を基に被告人がショートホープ以外の煙草を全く吸わないとまで認定することはできない。被告人がいかにヘビースモーカーであろうと絶えずたばこを吸っているわけでもない。したがって、本件も被告人を犯人から除外すべき理由とまではいえない。

(三) 当初、犯人が被害者を脅迫した内容や車中での犯人の話しと被告人との結びつきについて

弁護人は、被害者は、五月一一日藤井寺市内のジャスコ内のラーメン屋で被告人と出会い、デートの約束を押し付けられ、これをすっぽかした事実があったところ、当日それを種に脅迫されて被告人の車に乗る羽目になったなどと供述しているが、五月一一日に被告人がAと同所で出会ったり、そこで同女と約束を交わしたような事実はなく、これは被害者の全くの作り話であり、また、車中で犯人が被害者に話した内容で、被告人の実際の経歴や職業又は病歴と結びついたり、これを彷彿させたりするものは存在せず、これをもっても犯人と被告人とのかい離は益々鮮明になっている、と主張しているので、検討する。

(1) 五月一一日の被告人と被害者との出会いの有無について

Aは、原審(第五回)・当審(第三回)公判では、五月一一日ジャスコ内のラーメン屋の入口付近で被告人と会って、同人から二時か三時ころ来いと言われた、いや、と言うとしつこく何回も言われるので、その時は軽く「はい」と言って行かないつもりで返事をし、すっぽかした旨、さらに、五月一九日学校の帰りに、犯人が自分に対して、「この前、来んかったやろ。」「約束破ったやろ。」などと言ってなじり、自分に「喫茶店に付き合え。」と言ってきたことでこれに応じてしまった旨証言している(A証言の弾劾証拠として弁護人から証拠調請求されて取調べられたAの六月一二日付け検面調書にも同旨の記載がある。)。

母Cは捜査段階ではAと被告人が五月一一日ラーメン屋で会った事実を供述していないが、原審第七回公判で、ほぼAの公判供述に符号する証言をしている。

確かに、弁護人が指摘するように、捜査段階で五月一一日の出会いを述べているのはAの六月一二日付け検面調書だけであり、しかも、この点の前記Aの原審、当審各証言及び母Cの証言は、Aと被告人が話をした場所、そのときの母Cの位置、Aと母Cの会話等について少しずつ異なっており、記憶の混乱もあるようである。しかし、弁護人が主張するように、この出会い自体がAの作り話とは到底思えないのである。

Aは原審第六回公判で警察でも五月一一日の件を話したと証言し、本件捜査の警察の指揮者であった角江警部も当審第四回公判で、五月二〇日に、Aの口から五月一一日にジャスコで被告人と会うことを約束させられたか、すっぽかした、という話を聞いた旨証言している。その話は前記の犯行当日の犯人の言葉から考えても自然である。

このラーメン屋には母Cも同伴している。Aが親にも言えない事情があって、被告人を犯人にでっちあげ、五月一一日にもAが被告人と会った事実がないとすると、何も母親と一緒であった同日に被告人とAの約束があった事実を持ってくる必要はなく、母Cが一緒でない時を選べばよいはずである。

被告人の供述調書には五月一一日被害者と出会って会う約束をしたが、すっぽかされたなどといった話は一切出てこない。特に自白調書である六月一八日付け検面調書には、「今年の五月に入ってAさんと会ったことはなかったと思います。藤井寺のジャスコは近くですので私もよく服を見に行ったりすることがあり、その中の散髪屋の隣にラーメン屋があり散髪の待時間にラーメンを食べたりしたことがありますが、そこでAさんと会ったという記憶はありません。会ったとしても覚えていないということです。」との供述が録取されている。しかし、同じく自白調書である六月一八日付け及び同月一九日付け各警面調書には、いずれも、Aが犯行当日被告人の誘いを断ろうとしたことに対し、「この前も約束したのにすっぽかしたやないか」とか「この前も待っていたけどこんかったやないか」などと言って被告人がAをなじった事実が記載されている。しかも、六月一八日付け警面調書には、この点について、「これは別に約束などしておりませんが、前に声をかけたときにも断られていたのでこの様に言ってやったのです」との供述がなされている。何らの約束又はそれに近い出来事もないのに「約束を破っただろう」といって相手をなじり、自分の意に従わそうとするのは不自然である。弁護人が指摘するように、五月一一日の被告人と犯人との出会い、そこで交わされた約束は、被害者が犯行当日、被告人の誘いを断り切れなかった事情として、重要な事実である。被告人は、犯行車両と同様に極力これを隠そうとしたと考えられる。いずれにしても、五月一一日Aが被告人とジャスコ内のラーメン屋で出会ったのは事実と認められる。

(2) 車中で犯人が被害者に話した内容について

Aの各供述及び証言から右車中の犯人の主な話の要旨を少し整理して拾ってみると次のとおりである(同じ会話は省く。)。

① 犯行現場に着くまでの間の会話

「お前の家の住所を捜しだした。」(五月二四日付け警面調書)

「上ノ太子に集金がある。」「イチゴちゃんという番組に出てたやろう。」「俺は芸能界に詳しい。知り合いもたくさんいる。」「芸能人の一人や二人入れることもできるし、やめさせることもできる。」「わしもナイフ持っているぞ。」「組にいたときの兄貴の形見や。」(以上、六月一二日付け検面調書)

「自分は『花の応援団』にテレビ出演したことがある。」「横浜の方に店を出したことがある。」「店のことで友だちに騙されたことがある。」「モデルを育てた。」「芸能界に入れるのもやめさすのも自分の一言できまる。」(以上、原審第五回公判)

② 犯行現場での会話

「ずっと駅で待っとったことある。この間も来いへんかったやないか。」「お前のために七年間も付き合っていた女と別れた。」「俺はもうすぐ白血病で死ぬんや、手にあざが出てきたら終わりや。」「病院に行ったらあかんと言われた。」「病院からビールとたばこは許してもらっている。日本酒はあかんと言われている。」(以上、六月一二日付け検面調書)

「白血病でもう死ぬ。病院に行ったかてもう無駄や、最後にお前を抱きたい。」「かわいがって一生懸命育ててくれたから、お母さんには親孝行したい。自分は体が白血病で早く死ぬから、親不幸や。」(以上、原審第五回公判)

③ なお、母Cは原審第七回公判で、本件の一週間位前にジャスコのラーメン屋で聞いた話として、Aが今しゃべっていた男は外車のおにいちゃんで、「宝石かなんか、そういう仕事をしてて、その集金かなんかの仕事で来てる。」と聞いた旨証言している。

以上のとおりである。

弁護人は、「自分はお母さんに育てられた、親孝行をしたい。」という話は、捜査段階では一切なされておらず、事件後示談に来た被告人の母親から得た知識をもとに被告人を犯人に仕立てるためにAが作った話であり、その他の一つでも、被告人の実際の経歴や職業又は病歴と結びついたり、これを彷彿させたりするものは存在しない、と主張している。しかし、被告人の六月一八日付け検面調書によると、被告人は結婚歴はないものの、Vという女性と三年前から付き合い昭和五八年七月ころから今年(昭和六一年)の四月末ころまで同棲していたが、四月に同女の親の体の具合が悪いということで同棲を解消し、お互い親元に戻って別々の生活を始めている事実が認められる。したがって、前記会話のうち、「お前のために七年間も付き合っていた女と別れた。」という部分も被告人と関係がないわけではない。もっとも、被告人は同検面調書の中で同女との関係はその後も続いており、今まで何回か別れ話がありましたが、お互いに本気ではなく四月末にも別れてしまうつもりでマンションを引き払ったのではない旨供述している。

その他の会話は確かに被告人と直接結びつく話ではない。しかし、これらの話から犯人の人物像や職業を推し量ろうとすること自体困難である。話の大半は実のない作り話であることは明らかであって、たとえば、白血病で間もなく死ぬとか、手にアザがでたら終わりや、病院からビールとたばこは許してもらっている、日本酒はあかんなどといった話はまことに幼稚な話で、Aもさすがに「へえー変なの」という感じで聞いていたと証言している(原審第五回公判)。犯人がAに対し、自分が芸能界で力をもっていると言って暗に脅迫したり、自分の病気のことを持ち出して同女の関心や同情をひこうとしたりしている様子を容易に読み取ることができる。犯人を被告人と断言しているAがこのような話を作り出したり、親しい第三者の話を被告人の話とすり替えて供述しているとは到底思われないのであって、同女は被告人自身の話をそのまま供述しているとの感が深い。

(四) 小括

以上、原判決及び弁護人が指摘するAの供述から窺える犯人像と被告人との矛盾点等について幾つかの論点ごとに検討してみたが、右の論点に関してはいずれも決定的といえず、Aの被告人に強姦された旨の証言の信用性を覆すほどのものではないと認められる。

5  次に原判決がAの証言中に出てくる同女の言動でおよそ強姦の被害者、あるいは被告人を本件強姦犯人と考えると不自然であると指摘する諸点について考察してみる。

(一) 原判決の指摘する主要な点を要約してみると次のとおりである。これらの点については、当審弁護人も答弁書及び弁論で同様の見方をしている。

(1) Aは日頃被告人に対して嫌悪感・恐怖感を抱いていて、母Cからも日頃同人には注意するよう言われており、当日も自分の運転する単車の前に切り込んできて停めさせるという理不尽かつ危険な行動に出ており、あまつさえ怒鳴られて本人のみならず、家族にまで危害を加える旨脅迫されたのに、被告人の誘いに乗って、いったん帰宅するや当時着ていた学校の制服を脱ぎ比較的魅惑的な身なりに着替え、父親にも友人宅に行くと嘘を言って、所持金も持たずに出掛けた行動は理解し難い。

(2) Aは行く先をきちんて確かめずに犯人の車に乗車し、走行途中においても、当初の約束と違う方向に車が走行しているのに、ろうばいしている様子や抗議している状況が窺われず、車中で犯人と日常会話を交わし、強姦現場で犯人から病気である旨聞かされるや、かえって犯人の身を気づかうような会話すらしている。Aの採った行動は、嫌悪・畏怖している犯人に予期とは異なった状況下におかれた者の行動としては理解できない。

(3) Aは強姦被害直後に、端山酒店前まで連れて行かれ、犯人に言われるまま一人で下車しビールを買いに行ったが、その際逃走したり、付近の民家に救援を求めたりせず、再び犯人の車に乗り込んでいる。また、その際事後に備えて犯人の自動車の登録番号を記憶する努力すらしていない。本件強姦の被害者の行動としては矛盾がある。

(4) Aと犯人とは、犯行現場で午後五時すぎころから午後七時四五分ころまで二時間三〇分以上自動車内にいたことになるが、犯人がAを強姦するつもりで同所に来たのであれば、強姦の実行着手までの経過と強姦行為を合わせてもそんなに時間を要するものとは考えられない。また、現場でAと犯人との間に激しい抗争があったとか、Aが犯人に対し強い拒否的態度をとっていたような事情は窺えない。むしろ、強姦犯人とその被害者というようなものではない平穏な状態で過ごしていたのではないかという疑いさえ生じる。

(5) 犯行後Aが古市駅まで来て、同所で犯人の車から下車するまでに犯人と交わした会話の内容は、それ自体又は他の事実と合わせて考えるとなおさら、強姦犯人と被害者の会話というよりも、むしろ、両者が親密な間柄にあったのではないかとの疑いを生ぜしめる。

(6) Aは、古市駅からタクシーに乗って家に帰るのに、自宅とは藤井寺駅を挟んで駅の反対側に当たる藤井寺球場近くで下車し、そこから雨にぬれて約一キロメートルも歩いている。しかも、Aは警察では、当初犯人からタクシー代をもらって帰ったことを隠すために電車で帰ったと供述している。Aは、初めからタクシーで帰ったことを隠して電車で帰ったことにするために、前記のような場所で降りたのではないかとも考えられ、強姦され自殺まで考えたという者の行動としては理解し難い。また、犯人からタクシー代を含めた金員を受け取っていることとその点について虚偽の供述をしていることからみると、Aと犯人との間には金員の授受があっても不自然とはいえないような関係があったのではないかとも考えられる。

原判決は以上のように説示している。

(二) 検察官は、控訴趣意書の中で右の諸点について逐一反論し、当審弁論でもこの点について触れているところであるが、おおねむ首肯できる。そこで、これらを参酌しつつ前記原判示の当否について検討してみる。

(1)について

被害者は決して容易に犯人の誘いに乗ったわけではない。Aは原審第六回公判において、犯人に脅されて怖かったし、自分が一度約束を破った形にもなっており、近くの喫茶店に付き合えと言っていることだし、一回だけ付き合いに応じて短時間話をすれば済むと思い、また、これを機会に以後自分につきまとわないように頼もうと考えて、仕方なく犯人の要求に応じた旨証言している。もっとも、Aは走行途中犯人に対し最後までそのような頼む話をしていないが、A証言からは、走行途中犯人が一方的にしゃべりまくり、Aを自分のペースに巻き込みつぎつぎに事が運ばれていった様子が十分窺われ、こうした事態の意外な展開のため、Aは前記のような話をするきっかけさえつかめなかったものと推認できる。また、Aは原審第六回公判で、父親に相談もしないで友人のところに行くと言って出掛けたのは、外出する時点では、まさか本件のような被害に遭うとは予想も出来なかったからであり、短時間のことで、父親に被告人と会うことを話すことにためらいもあってうそをついたにすぎない旨証言しており、この点も首肯できる。

そして、被害者が着替えた服は前示のとおり外出着ではあるが、決して魅惑的とか挑発的なものではないと認められる。Aは同公判で、帽子をかぶったのは、パーマを当てた髪の毛が雨でぬれており、髪がはねないよう帽子で押さえようとした旨、また、自分は学生生活の傍らタレントという仕事をしており、外で人から見られても見苦しくない身だしなみを心掛けていた旨証言している。納得できるものである。

また、所持金を持たずに出掛けたのは、そんなに遠くに出掛けるわけでもなく喫茶店の料金ぐらいは誘った相手が払うものだと思っていた、と証言している(前記公判供述)。これも決して不合理なものではない。

(2)について

まず、Aが行く先も確かめずに犯人の自動車に乗ったとの原判決の認定は明らかに誤っている。

Aは原審第五回公判で、「そのガレージのところに行きまして、私がどこに行くんですかと言ったら、道明寺(注、この点は後に恵我之荘と訂正)……なんしか、藤井寺から近い喫茶店に行くと言ったんです。すぐ帰してください。五時までに帰らないと母が心配しますからといったら、『大丈夫、大丈夫』といわれて、ポーチをとられたんです。ポーチを車の中に入れられまして、私、仕方なしに乗りまして、そのまま一緒に行きました。」と証言している。

また、Aは乗車後別の方向に車を走らせているのに気付き、「どこに行くんですか。」と尋ね、これに対して、犯人は、「上ノ太子に集金があってそこへ行くのだ。」という説明をし、Aは、「そんなところへ行けば五時までに家に帰るのに間に合わなくなる。」旨抗議すると、犯人は、「喫茶店に行かないで、ジュースだけ飲んで帰ろう。」などと言って、Aを説き伏せている(Aの当審第三回公判の証言)。

原判決は、いかにもAが何の嫌悪感もなく犯人と接していたかのごとく認定しているが、犯人が勝手にしゃべり、Aとしては顔をそむけたまま必要に応じてそっけない返事をしていたにすぎない(Aの原審第五回公判証言、Aの検面調書にも異なる記載はない。)。

また、Aが被害現場で犯人に対し、「病院に行かないの。」とか、「ビールを飲んだら体によくないんじゃないですか。」と言ったのは、A証言のその前後の趣旨を含めて考察すると、Aにおいて、犯人の白血病の話はうそではないかとも思いながら、皮肉を込めた言葉で、しかも、少し犯人に対して恐怖を覚えてきたことから犯人の気持ちを和らげようとする配慮に出たものとみられ、決して犯人の身をいたわったり気づかったりしたものではないことは明らかである。

(3)について

この点は、検察官が当審弁論で主張しているとおり考えられる。

強姦の被害者としては、逃走に失敗したときの犯人からの報復も当然考えられなければならないし、他方、逃げなくとも、強姦では犯人が目的を達したあと犯人による解放も期待できないではない。また、強姦された後に救援を求めるのは、強姦の事実を公表することにもなる。Aが同所で救援を求めなかったのも、強姦の被害者の選択としてそれなりに理解できる。Aは原審第六回公判で、その時酒屋さんに救助を求めようという気持ちは頭にありませんでした。半分何か投げやりの部分もあったかもしれません、などと証言している。むしろ自然な証言である。

自動車の登録番号については、Aとしては、犯人はこれまでにしばしば自分の住居地の周辺で顔を合わせてきた面識のある人間なのであるから、その特定はできており、そのときには、被告人を警察に訴えようとの気持ちもなかったとみられる。したがって、犯人の自動車の登録番号を記憶する必要もなく、その点に思い至らなかったとしても不自然ではない。

(4)について

Aの証言によると、Aと犯人が犯行現場に到着したのは午後五時ころで(注、もっとも、前記車内で聞いたラジオニュースから考えると、もう少し遅い時間と認められる。)、同所を最終的に離れたのが午後七時四五分ころであるが、その間の午後五時三〇分ころから犯人がナイフを出してAを脅しにかかり、口淫をさせたりして、強姦行為に及んでいる(A証言)。しかし、Aが犯人の行動、会話のすべてを記憶しているわけでもなく、Aの抵抗(単に体を使っての抵抗に限られるものではない。)も当然あったとみられる。したがって、Aと犯人が犯行現場で自動車内に二時間半近くいたとしても、特に不自然とはいえない。また、犯人は人気のない山の中に被害者を連れ込んで、狭い良動車の中でナイフを突き付けて殴打するような格好を示して犯行に及んでいるのであり、Aに原審又は弁護人が期待するような強い抵抗を求めるのは困難な状況にある。それでも、Aは原審第五回公判で、犯人から服を脱げといわれてこれを拒もうとしたり、犯人がトイレに行ったすきに服を着て、また、犯人に脱ぐように命じられたり、生理中だと言ったり、強姦に対しては、足を閉じ、膝を立てて三角座りみたいな感じをして抵抗した旨証言している。できるだけ抵抗を試みていると認められる。したがって、この間両者が平穏な状態で過ごしたような様子は感じられない。

(5)について

確かに、原審A証言では、強姦後古市駅まで来て、Aは犯人から「ここで降りろ。」と言われて、「金を持っていないから古市駅で降ろされても家に帰れずに困る。」と言ったが、犯人はAに金を渡して同女を置き去りにした。また、そのころ犯人から「今から一緒に警察へ行って俺に強姦されたと言うか。」と言われたが、強姦犯人と一緒に警察へ行っても信じてもらえないと分かったので行かないと言ったとなっている。また、Aの検面調書には、同所で、「もう家には帰られへん。」と言ったところ、犯人は、「ちゃんと家に帰らなあかん。」と言った旨の供述が録取されている。

しかし、所論のいうように、古市駅にまで至った際には、犯行後時間も経過し、犯人も明らかにAを帰すという態度のもとに、自宅の方へ車を走らせ、にぎやかな場所に来たのであるから、Aの恐怖や不安も薄れてきており、犯人に対する憎しみ、腹立たしさなどから開き直って、「同じ帰すなら、自宅の近くまで送ってもらいたい。」という気持ちも理解できないではない。また、犯人を困らせる気持ちから、「もう家に帰られへん」と言ったのも了解可能である。さらに、犯人が、「今から一緒に警察へ行って俺に強姦されたと言うか」と言い、Aが拒否したのは、Aはタレントとして世間体を気にしており、警察に訴えないだろうとの、犯人の高をくくった態度とみることもできる。したがって、これらの会話から、Aと犯人が親密な間柄にあったと直ちにいえるものではない。

(6)について

確かにAは自宅から離れた場所でタクシーを降りている。しかし、タクシー運転手田中忠孝の警面調書によれば、Aがタクシーを降りた場所は、藤井寺球場の近くではなく線路を越えてその北側の小山地区となっており、被害者と同じ町名でその家からそれほど離れた場所とは思われない。ただ、Aが激しい雨が降っていたのに傘をタクシーの中に忘れ、そこからぬれて帰ったのは、Aのショックの大きさを示すものといえる。その中には原審第五回公判のA証言にあるように、両親に対する申し訳ない気持ちも含まれていると思われる。これらは前記タクシー運転手の警面調書からも十分窺える。もっとも、関係証拠によれば、Aは古市駅で犯人からタクシー代として三〇〇〇円受け取り、この事実を隠すため、警察官に対し当初、古市駅から電車で帰ったとうそを言っていた事実が認められる。Aは原審第六回公判で、「電車で帰ったと嘘を言ったのは、お金を渡されたという意識があって、へたに言うと売春ということになるから、それが怖かったんです」などと証言している。タクシーを自宅から離れた場所で降りたのも、犯人から金をもらってタクシーで帰ってきた事実を隠す意思も働いたと考える余地はある。しかし、それはAに犯人からたとい三〇〇〇円でも金をもらったことに対するこだわりがあったことにあると思われる。だからといって、犯人とAとの間に金員の授受があっても不自然ではない関係があったと考えることは困難である。前記田中の警面調書によれば、ルリ子は、犯人から受け取った千円札三枚を、タクシー料金は八七〇円にすぎなかったのに、金額を数えもせず、あたかも捨てるようにその全額を運転手に渡して車を降りていることが認められるのである。

以上のとおりである。

(三) 小括 検察官は控訴趣意書で次のとおり主張している。

本件の強姦は、通行中の婦女を突如襲って姦淫行為に及ぶといった単純・衝動的な形のものとは異なり、極めて手のこんだ巧妙、かつ、奸智にたけた犯行手口の事犯である。しかるに、原判決は、このような事案ごとの犯行手口・態様の実情や特殊性を無視して、もっとも単純な部類のある一つの強姦手口のパターンのみを物差しにして、他の異なった犯行手口・態様の事案をも律するという態度を示している。これは、事案を実態的に直視しようとしない安易、かつ、不合理な認定態度である、というものである。

確かに、被害者が少しでも本件のような被害に遭う恐れがあることを感じたなら、犯人の車に乗ることもなかったであろうし、犯行現場に行くまでの間に犯人から逃げ出す機会もなかったとはいえない。しかし、被害者はタレントとして多少の社会経験はあるとしても、何といっても当時一八歳の女子高校生であって、犯人の意図を察知できないまま後から考えると多少の軽率な行動があったり、被害に直面して必死で抵抗しているような状況が窺えなかったとしても被害者を責められないのはもとより、格別不自然ともいえない。原判決は、本件被害者に対して過度の思慮分別や冷静な判断を求めているといえる。いずれにしても、原判決の指摘する本件犯行前後の被害者の言動から、被害者がそもそも強姦の被害に遭っていないとか、犯人を被告人にすり変える作為をしたとの疑いを生ぜしめるものはないといえる。

6  弁護人のAの犯人特定に関する供述・証言が母Cの暗示誘導にもとづく虚偽架空のものであるとの主張について

(一) 弁護人は、原審以来、被害者が犯人を被告人と特定したのは母Cの暗示誘導に基づくものであり、虚偽である、その根拠として、被害者は当日警察官の事情聴取に対して、犯人の特徴として最も端的に被告人を表す「外車の男」という説明をしていない、かえって、当日「外車の男」という言葉は母Cから出ている、と主張している。そこで検討する。

(二) 前示のように五月一九日午後九時四〇分ころ、母Cから羽曳野警察署に本件の被害申告がなされて捜査が開始された。関係証拠によると、当日付けで、司法警察員の「強姦被害事件発生報告」と題する捜査報告書(〈書証番号略〉)、本件被害者Aの告訴調書、同人の警面調書及び母Cの告訴調書が作成されている。そして、Cの告訴調書を除くと、ほぼ共通して前出のような犯人の特徴が記載されている。これによれば、Aは犯人の年齢、髪型、服装などについてかなり詳しく説明しながら、外車の説明を抜かしているということは確かに弁護人主張のとおりである。他方、Cは、前記告訴調書の中で、娘の被害の相手は、「Aを中学二、三年生ころからひつこく付きまとっている男」で「外車にいつも乗っている男」という形で特定している。

ところで、Aは原審第五回公判で、すでに五月一九日の警察の取調べで犯人はいつも外車に乗っている人と述べた旨証言している。また、当日Aを取り調べた羽曳野署の七条保彦巡査部長は原審第二一回公判で、「Aは一九日夜『外車に乗っている男』と供述したが、自分が調書に記載するのを忘れた。」旨証言している。弁護人はこれらの証言は明らかな偽証であると主張している。羽曳野署の警察官嶋田好比古作成の当日の備忘録抜すいメモ紙二枚(〈押収番号略〉)によると、その二枚目裏に「沼ハイツ」「外車ワイン」「トランザム」などの記載があり(注、ワインはワインレッドの意味と解される。)、いずれにしても、「外車」しかも被告人がかつて使用し、また、現に使用している外車を指すと思われる言葉が当日すでにA又は母Cの口から出ていることは明白である。そこで、母Cが当日犯人は「外車の男」と特定した経緯について考察してみるに、弾劾証拠として弁護人から提出された母Cの六月一三日付け検面調書には、次のような記載がある。すなわち、

「私は雨の中を傘もささずにびしょ濡れで服もよれよれの感じで夜遅くまで連絡もせず帰ってこなかっただけでAの身に何事かあったと思いましたが、

お母さんのところ行かれへん

等と言って逃げようとするAを見て誰かに性的ないたずらでもされたのではないかと直感しました。

そこで私がやられたの

と強姦でもされたのではないかと聞いたらAは「うん」と言い

お母さんが注意せえ注意せえと言ってたやつやねん

と言うので、私が

外車のやつか

と聞くとAは泣きながら頭をそうだと言うふうに振るだけで答えられませんでした。

(中略)

こんなことで私は、娘が男にいたずらされたのではないかと分かったとき、直ぐこの外車の男がやったのではないかと直感しました。それ以外に娘にそんなことをする男の心当たりは全くありませんでした。」となっている。

弁護人はこれによってAの方から「犯人は外車の男」と言ったものでないことは明らかであり、Aは母Cから「犯人は外車の男か」と問われてこれを奇貨として、その方向で筋書きを作りあげたと主張する。確かに、母Cの右調書では、Aの方から「外車の男」という端的な言葉は出ていない。そして、母Cは、原審第七回公判で弁護人の尋問に対し、Aの口から「外車の男」という言葉が出たかどうかは、動転していてはっきり記憶していないとしながらも、弁護人の指摘する右調書の記載を否定していない。しかし、同時に、母Cは右公判において、その間の事情につき、以下のように証言している。すなわち、

Aの「お母さん」という小さい声がした。すぐ走っていくと、田のあぜにうずくまっていた。駆け寄っていくと逃げようとする。逃げながら「お母さんにお別れに来た。」「お母さんが言ったとおりになった。」という。すきをみて捕まえた。「どうしたの」「何があったの」など「やられた」という趣旨のことを聞くと、頭を縦に振って泣いていた。服装がよれよれで髪も乱れていた。家に入ろうとすると、Aは「もう家には帰られへん。」という。家に連れて入って聞くと、「お母さんが注意せえ注意せえと言ったやつ」という。それで判った。私はしゃべったことはないが、顔とかは全部知っている。外車に乗った人だ。よくAが道で会ったりしたら、声を掛けられていたから、私はそういう人には注意しなさいと言っていたので、本件は知っていたと思う。よく見かけた。「カトレア」とか、買物に行くときに、信号待ちしているときに。車の窓開けて、Aに五〜六回か声を掛けるのを見掛けている。

などというのであって、その他母Cの原審公判証言(第七ないし第九回公判)の全体を合わせると、Aと母Cの間でどちらか先に口にするかにかかわらず、暗黙のうちにも、「お母さんが注意せえと言っていた男」がひいては被告人として特定されていたと認めることができる。A証言もこれに沿うものである。いずれにしても、「外車の男」という言葉がどちらから出たかということは、本件の結論を左右するほどのものとは思われない。

(三) 小括

弁護人は、Aが当日親しい男とのデートの約束に出掛け、性交渉に至り帰宅が遅くなり、日頃自分を信頼し期待も大きい両親に対する言い訳として被告人を犯人に仕立てたものと考えているようである。

しかし、先にも述べたように、当日被害者が強姦の被害に遭ったことは明白である。Aが別人と性交渉を持ち、その相手を明らかにし得ない事情があったとしたら、そのような性交渉は秘匿していれば両親にも分かるはずのないことであり、帰宅が遅れたことならいくらでも言い訳ができたはずであって、わざわざ親がすぐに犯されたと分かるような、雨にうたれてしょうすいしきった異様な帰り方をするはずもなく、いわんや自己の恥辱となるような口淫をさせられたことまで打ち明ける必要性は全くない。また、強姦の被害に遭っているとすると、その犯人を被告人に仕立てあげる動機、必要性は見出せない。その事実を窺わせる証拠も皆無である。身内から犯人の特定を迫られた被害者が答えに窮して、別人の名を挙げる例もないではないが、本件ではそのような状況は窺えない。

いずれにしても、被害者の五月一九日付けの調書又は告訴調書に犯人を端的に「外車の男」と特定した言葉が出ていないことをもって、犯人を被告人と特定する被害者の証拠が虚偽架空のものであるとの弁護人の指摘は当を得たものではないといえる。

7  A証言の信用性の検討のまとめ

以上種々検討した結果によると、被告人のアリバイは成立しないものであり、その他被告人を本件犯人とすることに対して決定的な矛盾はない。本件は、冒頭でも指摘したように被害者が強姦の被害にあった事実は証拠上明白であり、しかも、犯人と被害者は交際はないとしても以前から顔見知りの関係にあり、その被害者が被告人から強姦されたと供述しているのであって、一見単純明白な事件に見える。しかも、前認定のとおり捜査段階で被告人から選任された遠藤弁護人も本件を示談に持ち込んで起訴を免れるべく努力していたのであり、こうしたことから捜査官にいささか油断が生じたのではないかと思われる。捜査側で、被告人のアリバイ関係の証拠であるスナック「××」の帳簿類や犯行当時被告人が着ていたと思われる衣類等の捜索が実施された形跡もなく、関係者の取調べにおいては、前示のとおり被害者に犯行使用車両の天井部分だけでも図示させておけばいいのに、それもしておらず、ずさんな取調べや調書の不備が目立つ。さらに、前認定のとおり、それが真実であるなら極めて重要な物的証拠になり得る犯行現場から発見されたと主張する陰毛についても、その証拠保全、管理はまことにずさんであった。しかも、その点に関する捜査官の原審各証言も二転、三転し、到底採用できるものではない。したがって、原審が警察官に証拠ねつ造の疑いがあるとして、右陰毛の血液型の鑑定書又はその作成者の証人尋問請求を却下したのは誠にやむを得ない措置と認められ、当審においてもその証拠調の再請求を却下した。このような捜査官の手落ちが原判決の無罪の判断に導いたともいえる。しかも、関係証拠によれば、被害者は被告人から本件告訴をぶ告であるとして損害賠償請求訴訟まで起こされている。したがって、A(被害者)において、自らの被害の事実を明らかにするのに懸命のあまり、証言が揺れ動いたり、弁解的なものになったとしても、その心情はそれなりに理解できるのであって、そのことのゆえにA証言のすべてが否定されるものとはいえない。

いずれにしても、これまでの検討の結果、その他弁護人が主張するところをつぶさに検討しても、本件強姦犯人を被告人と特定するAの核心部分の証言は十分信用できるということができる。

二  被告人の捜査段階における自白の信用性について

1(一)  被告人の捜査段階の供述の状況は原判決が詳細に認定判示しているとおりであって、その特色は、総じて、被告人が本件犯行について否認と自白を二回ずつ繰り返していること、自白している段階での供述内容も、最初の自白においはほとんど被害者を強姦したという結論だけを認めるもので、その実、否認とほとんど差異がなく、二度目に自白をした段階でも、使用車両や脅迫手段に使った凶器について始めと終わりとでは異なる供述となっており、供述の前後の変遷が著しい。また、被告人が自白している段階の六月五日、取調べの警察官が被告人を同行して犯行現場へ至る経路を順次案内させようとしたが、被告人は適切な指示をしなかったものである。

(二)  原判決は、これらの供述経過・自白内容等を検討して、①被告人の自白は難渋している上、著しく変遷し、②犯行現場への案内もできない、③被害者の供述調書を引き写したような部分が多く、秘密の暴露と言えるような供述がなく、④被告人は体質的にアルコールを余り受けつけないのに自動車運転中に好んでかなりの量のビールを飲んだようになっていること、⑤犯行後の被告人の行動が強姦犯人の行動としては不自然、かつ、不合理であること、⑥犯行車両が被告人の身辺から発見されず、犯行車両に関する自白の変遷・その内容が不自然であること等からして、被告人の捜査段階の自白は真実性に乏しいと判示している。

被告人は公判廷では一貫して捜査段階の自白は虚偽のものであり、取調官の暴行、脅迫あるいは誘導、さらに、自ら保釈されたいがために意に反してなしたものであると供述し、弁護人も原審以来同様の主張をする一方、特に、当時被告人の弁護人であった遠藤弁護士の態度にも被告人に虚偽の自白をさせる大きな誘因があり、被告人が犯人だとする同弁護士の原審証言には客観性、信用性に問題があると指摘している。

これに対して検察官は原審以来、被告人の自白には犯行に使用した自動車や凶器の点を除いては信用性があるとし、控訴趣意書で次のような主張をしている。①勾留一七日目に再び自白するに至った心境について、被告人は「最初強姦を否認したのは、留置場に留置されるのが生まれて初めてでつらかったので、何とか否認し続けたら助かるのではないかと思って否認した。しかし、母が面会に来て泣いているのを見たり、刑事さんからいろいろ説得され、自分のやったことはきちっと話をして責任をとらねばと思って、強姦したと認めた。しかし、不安でまだ気持ちがぐらついていて、やってないとまた弁解した。しかし、その後もう一度よく考え直し、弁護士さんからも正直に話すよう諭され、いつまでも嘘を通そうとしても、いずれはばれてしまうと覚悟し、本当のことを話す気になった。」旨(注、検察官は被告人の六月一八日付け検面調書を引用しているとみられる。以下、検面調書及び警面調書については特に明示しないかぎり被告人のものである。)極めて迫真性のある供述をし、②弁護人(注、当時選任されていた遠藤弁護人)に対しても自己の犯行を打ち明けていること、③犯行使用車両、凶器などについて被害者と異なった供述がそのまま録取してあり、そのことは無理な供述の押し付けをしていない証左である、④被告人の自白は、強姦行為の状況について大筋において被害者の供述と一致している、などというものである。

2  まず、原判決指摘の、被告人の飲酒、犯行後の被告人の行動の不自然性、犯行車両の問題については、A証言の信用性の項で詳細に論じたとおりで、この点の被告人の公判廷の弁解を直ちに信用することができない。

ところで、原判決は被告人の自白は被害者の供述調書を引き写したような部分が多く、秘密の暴露といえるような供述がないとして、その信用性を否定する一つの根拠としており、被告人も原・当審公判で、六月一八日付けの警面調書などは警察官が被害者の供述調書を見ながら調書を作成し、それ以後の自白調書は、警察官からすでに教え込まれて内容を供述したり、警察官から誘導されてできたものであると供述している。そこで、被告人の自白調書を詳細に検討してみると、次の事実が認められる。

(一) 被告人は、犯行使用車両及び凶器に関して、六月一〇日付け検面調書では、車は自己所有のサンダーバードで、車に積んでいた十手を突きつけて被害者を脅したと供述し、六月一八日付け検面調書及び警面調書でも同じく車は、自己所有のサンダーバードで、右検面調書では用いた凶器も十手であって、これをAの背中に当ててナイフのように見せかけた旨供述している。ところが、六月一九日付け警面調書で初めて、右使用車両と凶器について、サンダーバードではなくて本当は赤色のマツダファミリアのリフトバック(注、ハッチバックと同趣旨と認められる。)で天井にサンルーフが付いている車で、凶器は十手ではなくナイフで、このナイフは車の中にあったものであると供述し、しかも、この車は、知人の車であり、この知人の名前についは、自分が非常に世話になった人であるので、例え口が裂けても言えない旨の供述をしている。六月二〇日付け検面調書でも犯行車両、凶器については同様の供述をしているが、同時に次のような供述もしている。

「この車は、赤のファミリアでサンルーフ付きのものでした。あまり掃除をする人ではなく、車内はきたなく、シートは黒地に白のタータンチェック模様のマニュアル五速車でした。私の好みの車ではないので、その車内の様子などはよく見ていませんが、ドアミラー車で確かパワーウインドウが付いていました。ワイパーは間欠ワイパーになっており、ハンドルの軸の右側に出ているレバーを回転させることで、ワイパーが動いたり、速くなったりするものでした。私が乗っているサンダーバードは、ハンドル軸の左側のレバーを上下に動かす方法でワイパーを動かしていました。又、ハンドルが私の車と較べるとかなり重く感じました。」というものである。

(二) 被告人は凶器のナイフについては、六月一八日以降においても、被害者がいう両刃のものではなく片刃のものであるとして自己の主張を貫いている。五月一一日ジャスコのラーメン屋でAと会ったことも最後まで記憶がないなどと言って否定していることは前記のとおりである。

犯行状況についても、六月一八日付けの検面調書は「私は助手席の椅子を倒してAさんの口にキスしたり、乳を吸い次に尺八をさせた後、私の陰茎をAさんの陰部に入れて性交しました。私が上に乗る正常位でした。

Aさんは

やめて

と言い足を両方閉じて性交させないように抵抗していましたが私が手で両足を押しひろげて陰茎を陰部に押し込みました。」となっており、決して被害者の供述調書と同一でなく異なっている部分もある。

そして、被告人は公判廷で、先程の車両の点については検察官に誘導されて供述したものではなく、自ら想像で述べたと供述している(原審第二六回公判、当審第一六回公判)。このように被告人は否認すべきは否認しているだけでなく、被告人の自白は被害者の供述調書の引き写しとばかりいえないものがある。加えて、被告人が供述を変遷し、そして最後まで自供を拒んだ点はいずれも重要な箇所で、被告人が真犯人でない故に説明のしようがなかったと解される反面、被告人がその重要性を知って故意に自白しなかったとも考えられる。そこで、次に原審の遠藤証言について検討してみる。

3(一)  遠藤弁護人の選任時期、辞任に至る経過、その弁護活動の一部などについては前に認定したとおりである。さらに、関係証拠によると、同弁護士は被告人の事件を担当する前、被告人の叔父で当時暴力団組員であったOの刑事事件の弁護を引き受けた関係で、同人の紹介で被告人の本件弁護を依頼された事実が認められる。

ところで、同弁護士は前示のとおり辞任後の原審第二八回、第二九回公判で証言している。その証人尋問の請求は、第二六回公判で検察官から「被告人との接見の状況」を立証趣旨としてなされ、弁護人もこれに反対しなかったため即日採用されたほか、同第二七回公判期日に弁護人からも「本件公訴事実に対する被告人の態度の変遷とその内容、及びこれに対応した弁護活動の実際等」を立証趣旨としてなされ、結局双方申請の証人として、その後の各期日に証人尋問が実施されたものである。

(二)  そして、遠藤証人は以下のような供述をしている。

(1) まず、五月三一日の接見で、被告人は、犯行を否認しながらも、被害者の特定に関し、「カトレアという喫茶店、そこのママさんが小山と言うたと思いますが、小山かどこかのパーマネント屋に行く、その美容院の裏に建売りの住宅がある、そこの娘でA、その時初めてA、その字は分からんけれどもA、テレビに出たことがある、昔からモデルをしておった女の子で甲子園で六甲おろしを歌うてテレビに映った、そういう女やと。カトレアのママに聞いたら知ってる女やということを言いました。」と、また、その日に被告人から前述のようなアリバイ工作を頼まれたが、同弁護士は「日本の警察はそう簡単に間違って人を逮捕することはない。」と言ったが、その帰りに係長に会って、本人はアリバイがあると言っているので、台帳などを取り寄せてよく調べてくれと申し入れをしたとも証言している。

(2) 六月四日接見した状況について、被告人は、「そのAという女の子とは前から知っておると。お茶飲みに行こうかと言うて誘うたこともある。その日女の子が単車で来たのでと場所も言いました。僕がその前割り込んで止めた、そしてお茶飲みに行こうと誘うた。それで女の子は車に乗って家に帰って洋服を替えてきた。その洋服のことも言いましたけども、僕はそんな女の子の洋服なんか聞いてもよう覚えませんので、それで、(中略)しかし、ナイフで脅してはおりません。そして古市の駅まで送ってタクシー代として二〇〇〇円か三〇〇〇円やって自分は店に帰りましたという筋書です。」と供述していたが、その時、車については自分の車で、ナイフで脅していないが、十手という言葉が出ておったと思う、と証言している。

(3) 六月七日の接見の状況に関して、同弁護士は、「これは土曜日で雨の降る日でした。」と答えた後、「四日の日とほぼ一緒なんです。女の子のスクーターの前に車を止めて、それから女の子を車に乗せて駒ケ谷に行ったということで、その時、被告人は車は俺の車に間違いないんだということでした。ナイフは持ってなかった、脅したのは十手であるということを言ってました。(中略)」「(注、犯行は)認めてました。」と証言している。

(4) また、起訴後の六月二八日に会った時の状況について(なお、その時も未だ拘置所に移監されておらず、勾留場所は羽曳野警察署である。)、同弁護士は、「いや車は自分の車だと。ナイフじゃないと十手だと。こういうことなんです。しかし、女の子は赤い車だけれども、天井に窓がある車だとあの車ではない、マツダの車やと言うてるらしい、ナイフはこういうナイフやと言うてるらしいやないかと。それはどういうことやと言うたらね、車はあの車と違うんだけれども、借りたんだと、借りた人の名前をいうたらね、迷惑かかるから。ナイフはその車に乗っておったんだと。(略)」「(略)それでぼくは、あんたが強姦することを知って車貸しておれば問題になるけれども、ただ乗り回すだけで貸すんやったらその人には全然迷惑にはならんのだとじゃから、そういうことでかばうということは、あんたの間違いですよ、こう言うたわけです。」「(注、被告人は)納得しておったんです。」と証言している。

(三)  弁護人は、遠藤弁護士は検察官経歴を持つ弁護士で、その証言からみても、犯人として逮捕されたものは、まず犯人に間違いないと確信を抱いており、被告人の無罪の主張を頭から信じておらず、その証言は相当割り引いて考える必要がある。また、遠藤弁護士自身証言で認めているように、接見メモに基づく証言ではなく、やりとりのそれぞれの内容に関する時期の特定は正確とは言い難い、として同弁護士の証言の信用性を論難している。

確かに、弁護士がたとえ辞任後であろうと、自分が担当していた刑事事件に関して、身柄拘束中の被疑者又は被告人が信頼して明かした内容を法廷で証言することには弁護士倫理に違反すると主張する向きもあるであろう。したがって、その証言を被告人の刑事裁判の証拠資料にすることには若干のためらいもある。しかも、その証言の端々には独特とも思われる表現もみられるので、その証拠価値、証明力については慎重な検討が必要であるが、原審で前示のように検察官、弁護人双方の請求により証人として尋問がなされ、しかも、接見中の被告人の自白内容が証言されても、弁護人の方から何ら異議を出した形跡がない以上、証拠とすることに法律上の障害はない。しかも、本件弁護人の非難にもかかわらず、関係証拠によれば、同弁護士は被告人の弁護人当時は同人なりに誠実に弁護活動を遂行していたと認められ、被告人の叔父との従来の関係もあり、特に被告人を故意に陥れるような証言をしている状況も窺えない。証言内容は極めて率直で具体性があり、記憶も正確と認められる。したがって、同証言を被告人の自白の信用性の判断資料から除外すべき理由はない。

そして、遠藤証言によれば、被告人が被害者の名前も分からなかったと供述している段階(原審第二三回公判)で、かなり詳しく被害者の氏名、家、出演しているテレビ番組に至るまで遠藤弁護人に話していたことになる。しかも、同じくいまだ事件の詳細は分からなかったと供述している(原審第二三回公判)六月四日の一回目の遠藤弁護人との接見時に(関係証拠によると、当日の一回目の接見は午後零時二五分ころから午後一時ころまでの間で、遠藤弁護人は午後二時二二分ころから午後二時三〇分ころにも被告人と接見している。また、警察官の取調べは午後四時すぎから午後四時五〇分ころまで行われている。)、被害者の犯行当時の服装、更には古市駅で被害者に帰りのタクシー代の二、三千円を渡したことなど犯行前後の事情を含めてかなり詳細に遠藤弁護人に供述して犯行を自白している。また、被告人が同公判で犯行を否認していたという六月七日においても(原審第二三回公判)、弁護人に対しては自白を維持し、結局被告人は六月三日いったん自白して六月一〇日検察官の取調べを受けるまで、自白を継続していた状況が窺える。また、起訴後においても、少なくとも六月末ころまでは犯行を認めていたものである。

3  したがって、原審も認めているように被告人の捜査段階の自白の任意性に問題はない上、その自白は完全なものではなく、一部事実を隠したり、虚偽の供述部分もあるものの、犯行を認める核心部分は真実を供述したものということができ、犯行を否認する被告人の捜査段階の各供述並びに原・当審公判の供述は到底信用できない。もっとも、被告人の本件犯行は、捜査段階の被告人の自白の有無に関わらず、被害者の公判廷の証言によって十分に認められる。

三  結論

以上によれば、被告人の本件犯行は明らかであり、原判決には検察官所論のような事実誤認があり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄するが、被告事件について直ちに判決することができるものと認めるので、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

第三  自判

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六一年五月一九日午後四時三〇分すぎころ顔見知りの高校生A(当時一八年)を普通乗用自動車に乗車させ、藤井寺市内から羽曳野市内にかけて走行中、同女を強いて姦淫しようと企て、同日午後五時三〇分ころ、大阪府羽曳野市〈番地略〉広域農道上に駐車中の右自動車内において、同女に対しくり小刀様の刃物を突きつけ「服を脱いで俺に抱かれるか、二度と見られんような顔になるか、死ぬかどれか選べ。」などと言って脅迫し、その反抗を抑圧して、同女を全裸にして、強いて同女に自己の陰茎を口淫させた上姦淫し、もって同女を強姦したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一七七条前段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

被告人の本件犯行は、一八歳の高校生に対し、半ば無理やりに自己の運転する自動車に乗車させ、人気のない山中に連れて行き、同所において被害者に対し、ナイフを突きつけるなどして脅迫し、強姦に及んだものであって、動機に酌量の余地はなく、犯行態様も執拗で悪質なものである。しかも、被告人は被害者に対し何らの慰謝の方法を講じていないばかりか、かえって無実の被告人を罪に陥れようとしたとして被害者に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起するなど反省の情が全く認められず、犯情は甚だ重いといわなければならない。

そうすると、被告人にはこれまで業務上過失傷害罪で罰金刑に処せられたほか何らの前科もなく、正業を有していることなど諸般の情状を斟酌しても、本件については主文の量刑が相当である(求刑懲役三年)。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小瀬保郎 裁判官髙橋通延 裁判官正木勝彦)

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